2012年3月6日火曜日

玄侑宗久(作家)         ・福島と私のこの一年

玄侑宗久(作家)  福島と私のこの一年
(1956年4月28日 - )は日本の小説家、臨済宗の僧侶。東日本大震災復興構想会議委員
小学校3年の頃、いずれ来たるべき「死」を想って毎晩のように泣いた    
中学3年で罹った日本脳炎のため、3日間の昏睡状態を経験
意識不明中の妄想の記憶と、あとで聞かされた行動などから、あらためて「死」について考えた   
高三のとき出逢った哲学者星清から後の出家への動機付けを得た
2001年「中陰の花」で第125回芥川賞  「般若心経 いのちの対話」で文藝春秋読者賞
「福島に生きる」 「無常という力」をここで立て続け出版
震災当日 町内に居た 2分50秒と長く非常に大きな揺れが来た  また合計で6分揺れた    
地蔵さんが倒れお墓が何十か所倒れたが本堂は無事だった
 
みはる町 TVで津波の被害を見る事ができた 
映像で見たのは初めて どう感じていいのか判らないような状況だった
4月末までの法事は止めた   当初役場に受け入れる人の要望が有った 
800名程度だとおもっていたら3000人の要望があった
2000人を引き受ける  1500人 1200人と落ち着いてくる 
避難所の様子は→ 体育館と言うようなので仕切り無 寒さありいつまでこのような状態が続くのか
心配だった
不安を語り合える仲間がいるということで、皆が一緒に居るから耐えられると言うようなこと
も言っていましたね

まったく想像を超えていた事態だった  生きていれば想定外の連続 
原発  どうしたらいいのか解らない感じで 父が入院していたり 又住職なので そういう事情が
あって動くわけにはいかない
町がコンパクトで基礎自治体に関する信頼と言うのが有ったですね 
被災者の自殺が何件か続いた→情報が入れば入るほど混乱が増すと言う 
特殊な事態が進んだと言う気がしますね
ただちに影響が無いといいながらホウレンソウ出荷停止と言う事になったでしょ 大丈夫だ、大丈夫だと
言いながら全面的に駄目だと言う状況になってしまった
他の物も何時 駄目になるか判らない  畜産農家の方にとって大事な家畜を捨てなくてはいけない 
でもその人達の中に同意できないと言う人達がいた
国の方に問い詰めたが、なんとも動かなくなってしまった  
安楽死に同意しないまま 放置されて餌をやりに通っている人がいる

不思議な状況になっている 米も安全だと思っているのに売れない   
報道してほしいと思っていて報道してくれなかったんですが、9/6原子力委員会で発表された
石井慶造先生(東北大学)の論文があるんですが
粘土粒子が宮城、福島を救ったという 要するに放射性セシウムが 水に解けると陽イオンになる
んですね 
陽イオンと粘土粒子の陰イオンが合体するんですね  
粘土粒子と言うのは顕微鏡で見ると空間がある平べったいものでして、そこにパカッとはまった様に
なりますとそれが水にはとけない 
酸 アルカリにも溶けない 何より植物に吸い上げられない形になるんです
農林水産省が当初予定していた 土壌のセシウム量から移行量が 1割ぐらい有るのではないかと
予想していたのですが

日本の田んぼほど粘土粒子が多いところは無いんですね (チェルノブイリもスマイリーも田んぼはない)
結局0.3%ぐらいしか入らなかったのです  吸い上げる危険は心配していない 
キノコは菌糸なので非常にめが荒くて、360度広がっていてキノコを取ってしまうと
その菌糸は見えないんで、あれは別ですけれども どうやってセシウムが付着しているのかと
言うメカニズムを理解すると
柿、栗にもあったが 花が咲いている時にまだ空から降っていたと言う事なんですね
吉田所長が会見したがようやく安定したのは7月、8月ごろだと 6月までは明らかに降っていた  
明らかに6月に柿、栗の花が咲いてそこに付着したと思われる
今年の場合明らかに違うはず そこのところを県外の人にも理解してほしい 
上から降ってこない限り余り吸収しない
如何して粘土粒子が多いのかと言うと日本が火山列島だからですよ

県知事が住民の気持ちを代表しているかと言えばそうでもないだろうと思うので、市民の気分を
代弁する事が出来ればと参加しました(復興構想会議)
構想と言う事で ビジョンを作るものと思っていた  
しかしつい牛の事、放射能についての現在の不備についても言ってしまう 
喫緊の問題と長いスパンで考えなくてはいけない事がある 
放射線物質が降ってしまった 世界でも調べられない事もあるので、医療施設を作り、研究機関を
充実させ、放射性物質の事は福島に
行かなければ世界最先端の事は判らないと言うような状態に持って行きたいと思っています
温泉施設は4割が来なくなってしまっている  
滞在型の医療施設、研究施設を作ったらいいのではないかと思い 特区にしてほしい
必要がないと研究もしない 一番知りたいと思ったのは一体3/11以前に日本人は日常生活の中で
どの程度被爆しているのか

ベクレルからシーベルトに換算するりくつを知っていた方が良いのではないかと思う 
カリウム摂取している 多くても害になり欠乏してもいけない 微妙な量を必要としている  
自然界から摂取するカリウムの0.117%は放射性カリウム40  
食べ物から年間摂取しているのが0.2mシーベルト 今回福島で56軒調べたが一番多く摂取した
家で0.1mシーベルト弱/年間にすると 
予防と差別→有る方に取っては用心に越したことは無いという考え方がある 
例え0%だとしても食べない これは風評被害だと思うんですね
差別の土壌を予防科学的な見方が作っていると言う事にどうも予防医学的な考えを持っている
人達が自覚が無いんですね

福島どころか東北の野菜は食べるなと言う人までいるわけですよね 
あと半歩で恐ろしい発言になるんですよ
避難から疎開、移住となる その土地の人になりつつあると言う事もある  
住民票を移した人だけで4万何千人いますけど 住民票を移さないで県外にいている人は6万人を
超えている
福島では203万人いたが200万人切っている (住民票移した人だけで)
瓦礫の中間施設  →沖縄の基地の問題と一緒  均等に負担すると言うのが一般論ではある
と納得しますが じゃあお宅の県にお願いしますと言われれば
どこも嫌なわけですね 

仮置き場 中間貯蔵施設を作らなければならないと言う時に起こってきてますね
成田空港を思いだすと良いと思うんですが 成田空港もあれだけの反対運動がありながらも
やっぱり大多数の利便とか幸いの為に一部の人権を
踏みにじると言うような国家権力が働くわけですね
国家権力と言うのはそういう無謀なものを持っているわけですよ  
 時にはそういう事をしなくてはいけない
いまはそこの部分を放棄して各町村でお願いしたいと 話あって決まるはずがない
どこかで人権が損なわれる事は確かで そう見えないような工夫をしながら、国が粘り強く説得
しない限り 決まらないと思いますね
原発については廃棄物の最終処分場が決まらない限り 稼働のしようがない
今回の様に生活が危機に陥ってみると  色んなシステムが集約的になり過ぎている

 集約的なシステムを稼働させるために原子力がどうしても必要だった
訳ですけれども システムをもっと小分けにするべきだと思います 
県内もいくつかに別れていてそこだけで色んな事が叶うと言う 江戸の藩みたいなような 300以上有った  
そういう自治の在り方を考えなくてはいけないのでは
電気にむやみに依存していた部分があって 電力総量さえ上げて行けばGDPが上がると言う
ような信仰めいた考えがあって あげて来たのが実情だと思うんです
実際余っていたので 節電してみて何とかなる 一人あたりのエネルギーの使い過ぎ 
生物学者 達川先生?の試算 人間が自分で作れるエネルギーの40倍を使っているのが日本の現状  
ちょっと前の生活は覚えている 一歩戻れば全然違ったものになるのではないでしょうか  
戻る勇気も要るのではないでしょうか