2012年3月21日水曜日

佐藤忠男(映画評論家81歳)       ・私の映画人生2

佐藤忠男(映画評論家81歳)  私の映画人生    
これまで余り見なかった映画を見るようになった  アメリカ映画を主体に見ていたが、別世界の話
であり、日本映画をみると 物質的にも貧困、ひくつな人間が多い
他の国はどうなんだろうと、思うようになる  メキシコ映画に魅せられた 貧困の状況 
描かれている人物の背筋ががしゃんとしている
エミリオフェルナンディス 監督 1947年ぐらいの時代  
(アメリカ映画だと思ってたのが実はアメリカの
会社が出資してメキシコが作成した映画であった事が判った)
韓国 私と同年代は私の本を読んでいる(その人達は日本語を読み書き出来る年代)
 
その人達と付き合っていて、韓国に行くようになる
文化大革命が終わった直後、その間、10年間交渉を断っていた 講演に出掛けた 
観光旅行は存分に楽しんで下さいと言われたが
古い中国映画を見せて下さいと言った    戦前岩崎昶(あきら) という左翼の映画批評家がいて 
戦前に左翼の映画運動をして弾圧をされて失意のどん底に居た時に
ちょっと上海に遊びに行った、その時に上海で左翼映画の全盛時代であった  
その映画を何本か見て 日本で弾圧されて失敗した映画が上海に有る

今や左翼的映画が作られていると、感激して 日中戦争のはじまる直前頃には中国にも上海にも
優れた映画あることは雑誌を見て知っていました
それらの映画は無いですかと尋ねた それが素晴らしい映画だった 
ダサい映画だと思っていたら、ハリウッド直系なんです 
上海は当時の東京よりももっとアメリカナイズされていた そこで見事にアメリカ映画の良いところを
とりこんでいた (日中戦争の前)
国際交流基金 南アジア諸国に講演に行ってくださいと言われた (山田洋次監督と一緒に)
  
最近の評判になった映画を見せて貰った どれも素晴らしかった
映画が社会に活性化して生きているのだなあと思った   
知られざる国の映画を持ってきて日本で上映した方が良いのではないかと思った
面白い映画があると知らせただけで それが大ヒットした  
現代のアジアの国々の社会問題を描いたその国の映画なんて存在も知らない人達がワーッと集まった
アジア映画祭と言うものができてきて、これに係わったことが大きかった   
相談に乗っているうちに、自分でその国に行って探してこようとか、アジアの映画祭を纏めてやっ
いる処がいくつかあるので積極的に行って探そうかとか

そういった形でアジア映画の紹介に係わりましたね
福岡で(1991年~)映画祭をやっていたが 年に7~8回海外に行っていた 
韓国、中国、台湾、フィリピン、タイ、インドネシア、ベトナム、ミャンマー、インド、イラン、トルコ、
良い映画を探すのは大変 良い映画は作られる映画の10%ぐらい  
外国人の批評家と知り合いになるので 紹介して貰ったり 映画を統括する役所等もあり
或は監督協会だとか そういう団体と接触して ここ2~3年の優秀な映画を20~30本用意して
くれないかと交渉して纏めて見せてもらう事がオーソドックスなスタイル
最初にタイに行ったときに「タイではインテリは映画を見ません」と言われた 
「傷跡」観たら素晴らしかった

「傷跡」を作った監督が日本に現像に来ていて(当時現像等は日本に来ていてやっていたとの事)、
私に会いたいと言っていることを或る筋から聞く
日本の新聞にタイの映画が話題になったことがタイでは有名になって それで話あった  
それから家族ぐるみで付き合うようになった(その様なのが世界各国にいる)
日本に行ったら佐藤忠男に聞けと言われる様になった 
映画祭に出すように勧める タイで「傷跡」をヨーロッパ映画祭に出す   
イギリスの国立映画研究所のライブラリーに納められたタイの映画の最初のものとなった
モンゴルの映画を 福岡で特集をする  ベルリン映画祭のディレクターを知っていたのでちょっと見て
ほしいと言って見てもらう
 
「至福の禍」「風」・・・
全作品をベルリンで上映して世界を回って、香港で上演され この映画は大海原で拾った真珠の
ような映画であると批評が載って、我が意を得たりと言う思いであった
「至福の禍」    モンゴルとの付き合いの発端はモンゴルでノモンハン事件を扱ったドキュメンタリー映画
を作って日本に売り込みたいと言うディレクターがいて 
紹介頂いて モンゴルに行く事になる  良い映画があることが判った
バングラディッシュの映画 イスラム圏の映画 見た事が無い 
イランの映画祭に行ったら見る事ができた  
アジア映画の魅力とは→アジアには貧しい国が多い つつましい生活を描く映画は一杯ある  
遊牧民の映画 もっとも簡素な生活 具体的に判る

我々に取って非常に参考になると言うのか、勉強になると言うのか、人類が最もつつましい生活を
しなければならないと言う条件をつけられたら
遊牧民の生活が一番参考になる 日本がこれが仏教の真髄ですとまともに描く映画は余り無い 
処がスリランカとかタイに行くと有る
小乗仏教 奥さんを持ってはいけない 純粋な仏教 我々の言っている仏教は大乗仏教で、
小乗仏教をだいぶ変えたもの 
小乗仏教とはこういうものなんだと言う事がスリランカ映画なんかを見ると判りますね
スリランカの映画で「蓮の道」が有る これは非常に無欲な生きかたをした男の物語なんです 
非常に無欲で幸せなことも無かった 彼が最後に病気で亡くなる時に
自分が親切にしてあげた、面倒を見てあげた貧しい人達が彼を介抱してくれるんですよ
 
 最後に夕日が沈んでゆく丘で亡くなるのですが
仏教の真髄は欲望を断つと言う事でしょ 欲というものを捨てた人間の境地、精神的な状態 
こういうものを描いた映画と言うものはこれが仏教映画なんですね
こんな仏教映画なんて考えてみると我々、小乗仏教とはこういう精神を追求するものなんだなあと
感動しますね
我々の知らない文化というものが一杯あって、やっぱり面白いですよ 
世界を知りたい と思うのが私は映画であると思っている  
今世界を制覇しているのはアメリカ映画です アメリカ映画で最も華々しいのは商業映画で世界の滅亡映画で
昔はアメリカ映画ははつらつとして、夢を感じさせる映画だったんですけれども、自己批判する映画が
出てきて、段々絶望的に成ってきている

アメリカ映画を見ていると何回地球が粉砕されたのだろうかと、物を壊すことに情熱的で カーチェイスも
昔は2台程度の車がぶつかっていたが何十台と壊れるようになった
アメリカ映画文化の対極に小国の文化は有ります 
アメリカ文化とは違った原理、文化で動いているのが多数あると言う事を理解しないと こちらを無視
するわけには行けない
ベトナムは例えば社会主義で頑張ってアメリカと対抗したんだけれども、社会主義だけではやって
いけないと言う事がベトナム戦争に勝って10年ぐらいしてから
判って、そして彼らは彼ら流に悩みながら、新しい社会観と言うものを、つまり社会主義一辺倒では
やっていけないと、しかし社会主義で頑張ることによって
アメリカと対抗で来たんだからそれも無視できない
 
今は近代化が始まっている その辺の動きを見る事ができる
ベトナム映画を見ると 交通事故で死ぬ場面 三途の川で別れを告げる  
ベトナムも仏教国 近代化の犠牲になった幼い弟、妹に別れを告げるいうような
こういうイメージ 之を我々に作れと言ってもわざとらしくしか作れないけれども、それを極自然に
映画の中で作れるのがベトナムの映画なんですよ
国の独自の文化と言うよりはこれは人間の文化の基本の形ですよ  
人間の文化の基本の形のどういう部分がどこに今、生き生きと生きているか
と言う事を知っておく必要がある
次の世代の育成もしなくてはいけない