松木志遊宇(篠田桃紅作品館館主) ・作品を守り生き方を伝える
2021年に107歳で亡くなった篠田桃紅さんは、日本を代表する芸術家として墨を用いた抽象表現と言う新た案ジャンルを切り開き、作品は国内外の美術館や宮内庁などに収納されています。 エッセーの名士としても知られています。 その篠田さんの作品を個人で収集展示しているのが松木さんです。 松木さんは1943年新潟の生まれ。 大学を卒業後高校教諭となり、かねて憧れていた篠田さんに研究会の講師として依頼したことから交流が始まりました。 2005年篠田桃紅作品館をオープンしました。 2013年に放送した篠田さんへのインタビューから聞いていただきます。その後松木志遊宇さんに伺います。
参照 水墨抽象画一筋に一世紀 篠田桃紅https://asuhenokotoba.blogspot.com/2013/05/100.html
私は100年生きて来たなかで、自分はいくつ迄生きてきたんだという感慨を持つとか、覚悟を決めるとか、歳によって生きてきた?ことは一度もありません。 昨日と今日、明日も同じ毎日です。 歳によって考えるという事は自主的ではないという事ですよ。 自分の気に入っている道具を使って仕事をしてきただけです。 自分が作りたいと思うものが先にあるんです。 道具を使って可視にするのがアートなんです。 道程がアートなんです。 出来たものは一つの証拠物件みたいなものです。 子k炉の中にあるぼーっとしたものを眼に見えるようにしたい。 心の思いを形にしたい。
もう二度と会えない偉大な芸術家だと思います。 初めて篠田桃紅と言う人を知ったのは子供の時です。 絵と書が大好きな子供でした。 こんな人が居るんだと吃驚しました。 エッセーの繊細な文章から来る美意識、角度を変えた美しさを見せてもらいました。 土壁に水を打った図柄が涼を呼ぶという事は品等に新鮮でした。 うちの作品館の突き当りは土壁にしました。
私は嫌われる先生をモットーにしていました。(書道と国語の先生) 嫌われてもいいから本当のことを彼らに伝えて導きたいという姿勢でいました。 でもそれは言い逃れだったかもしれません。 自分自身きつい性格だと思います。 好かれていないからいい訳に使っていたかもしれないです。 でも半分は嫌われてもいいからと言うような指導者でした。 子供のころから学校の先生になりたいと思っていました。 大学卒業後県立高校に就職しました。 書道の教授になっている時に研究会が出来て、講師をお招きすることになりました。 篠田桃紅さんをお招きしたいと思いましたが、最初は断られました。 何回となく交渉するなかで先生も根負けしました。 先生は「束縛されれのが嫌いなので、お迎えお見送り無用に願います。」と言われました。 私と先生とは30歳違います。
私の家庭は夫も子供も好きなことを勝手にやっているという雰囲気でした。 ですからお互いに縛るという発想がなかったですね。 作品を購入するという事に関しては大変身内にお世話になりました。 いずれは個人の美術館をやって行きたいと、先生には申し入れました。 それから20年近くになりました。 芸術は主要5教科には入っていませんが、人間にとっては一番重要な教科だと私は自負しています。 先生も熟慮して「協力します。」とおっしゃって下さいました。(私は涙が出ました。) これが今日を決めた大きな大きな出来事です。 2005年にオープンしました。 最初マンションでの作品館では50点前後でした。 夫も賛成してくれました。 先生が亡くなってマスコミにも取りあげられて、全国から連絡が来るようになりました。 「山上焚火」 片方は鋭い直線、もう片方は曲線で、山上にたどり着き、情熱を細々と燃やし続けて、やりたいと言う一念が岩おも通すと言う願いがあったかなあと私は思います。
作品の散逸はしたくないです。 先生の人間性にすっかり傾倒しました。 「上の目線でものは言いたくない。」と先生はおっしゃっていました。 「戦争は厭だ。」と言う姿勢も一貫しています。 「人間にとっての癒しは芸術なんだ。 戦いではないんだ。 戦いたかったらスポーツをやりなさい。」と言っています。 「心を作って心を育てて、心を癒せる表現の世界は芸術だ。」と言っています。 先生は新しい表現の世界を作ってきた。 自分自身を自由にしているからなんです。 先生は弟子を取りません。 「芸術と言うのは心の中で作る出すもので、心の中のものを伝授なんてどうしてできるんですか。」とおっしゃるんです。
ある時、先生が「新潟の人にお判りになるかしら。」とおっしゃったんです。 どうしてなのか初めて先生に聞きました。 先生の作品は見る人の心情の動きによって変化するんです。 外の光の力で、朝、昼、夕方の光の力で作品が変化するんです。 新潟の人は四季を感じ取っています。 感じ止めている人が先生の作品を観ることは、都会の人以上に感じます、と先生には反論したいんです。 天上で「あらそうかしら。」と言っているかもしれません。