2024年3月13日水曜日

坪川拓史(映画監督 俳優)        ・室蘭から世界へ

坪川拓史(映画監督 俳優)        ・室蘭から世界へ 

坪川さんは1972年北海道長万部町出身、高校卒業後上京して1991年に劇団オンシアター自由劇場に研究生として入団、同時期に独自で映画製作も始めます。 1996年故郷長万部町にあった映画館の解体をきっかけにして、初長編映画作品美式天然」の製作を開始して10年がかりで完成させ、「第23回トリノ国際映画祭 (グランプリ)、(最優秀観客賞)」を受賞しました。 その後2007年にアリア」、2013年にハーメルン」、20221年にモルエラニの霧の中」を公開し、ほぼすべての監督作で脚本、編集、音楽の作曲とピアノ演奏を担当、2011年に故郷室蘭市に戻って室蘭市から映画製作を続けています。 自主映画のために上映する映画館の交渉まで全て自ら行っているという事です。 来月は短編映画2作品と長編映画4作品の全作品が東京と京都で公開されるという事です。

美式天然」は2005年に製作して19年目にしてようやく公開されることになりました。高木均さんが完成の前に2004年に亡くなられて、追悼試写会流行っていましたが。   イタリアのトリノ国際映画祭でグランプリと最優秀観客賞を頂きました。                 2作目がアリア」で完成が2007年でしたが、17年目でちゃんとした劇場公開となりました。 試写会とかもあんまりやっていないです。 脚本もいつも自分で書くので、この人にやって欲しいと書いてしまって、俳優さんに貴方を想定して書きましたという事で、交渉して9割7分ぐらいの確率になっています。 キャスティングもロケ場所も全部自分でやっています。3作目がハーメルン」、最近の作はモルエラニの霧の中」です。 2020年に完成しましたが、コロナで延期になって2021年に岩波ホールで公開されました。

子供のころは映画館のない街でした。 函館、室蘭が近い都会で、18歳までに見た映画は3本だけでした。 「キタキツネ物語」「南極物語」「ネバ―エンディング・ストーリー」だけでした。東京に行った途端に一杯観ました。 小学校5年生の時に男子を集めて、お話を書いて、演出みたいなことをして、美術、衣装を作って発表したりしました。

東京に来て専門学校に入って寮生活を始めました。 同宿の人が朝までゲームをやっていたりして僕が飛び出しました。(2か月で中退)  大田区洗足池公園でホームレス生活を送る。 11月ごろに親にもばれたりして正式に退学届を出しに行ったら、芝居のタダ券を上げると言われて、行ってみたのがオンシアター自由劇場」の「ティンゲルタンゲル」の芝居でした。 これをやりたいと思ってしまいました。 基礎も何にもないので、2年ぐらい悶々としました。 20歳の時に入団のオーディションがあり、受けに行きました。 そうそうたるメンバーの方たちが怖そうな顔をしていましたが、小日向文世が中央にいてニコニコしていました。 小日向さんに何か楽器は出来るのか聞かれて、とっさにアコーディオンが出来ますと嘘をついてしまいました。 合格しまして慌ててアコーディオンを買いに行きました。 今はアコーディオンが食い扶持になっています。 

近所に映画学校があり、「映画に出てくれませんか。」と言われて、出ることになりました。(8mmフィルムで撮影する学校)  製作中にいろいろ注文を付けていたら、「だったらお前が撮れよ。」と言われて、撮ることになりました。 そう言った彼とはカメラマンとして長い付き合いをしています。  20代は俳優としても10作品ぐらいは出させてもらいました。 30歳過ぎてからは映画を撮るだけになってしまいました。  撮っていると出たくなり、出ていると撮りたくなります。 本当は絵本作家になりたかったが、絵が下手だったので駄目でした。 

本が出来上がった時には頭に浮かんでいてロケ場所などは決まってしまっています。 ハーメルン」は福島県の会津の昭和村がロケ現場でした。 2009年から始めていたので、東日本大震災は2011年で丁度真ん中でした。 廃校に関する検索をして気にいったものを壁に貼って書いたんですが、いざその廃校を60か所捜してもなくて、2009年の1月に知り合いが似た廃校があるという事で、理想通りではなかったらハーメルン」を撮るのは辞めようと思って行ったら、まさしくそれでした。 

モルエラニの霧の中」では香川京子さんに出ていただいたことが信じられませんでした。 撮影開始が2015年でしたので、当時香川さんは80歳を過ぎていました。 小松政夫さんも出演しましたが、亡くなったのが2020年の12月でした。 小松さんには5作品出てもらっています。  最初に小松さんは舞台があるので出られないという事でしたが、僕が「何年でも待ちます。」と言ったら真剣な顔になって「出る。」と言ってもらえました。美式天然」は撮影で8年かかりました。 以後作品に出ていただきました。

吉田日出子さんからは大きな影響を受けました。  美式天然」では吉田日出子さんの撮影だけで5年ぐらいかかっています。 名女優です。 山田吾一さんは父親の先輩で美式天然」に是非出てもらいたくて、お会いした時には送った本には赤線が一杯入っていてよれよれになっていました。 大杉漣さんが皆さんに行ってくださった言葉が有って、「映画と言うのはみんなで同じ船に乗って旅をするのと一緒です。 モルエラニの霧の中」も途中いろんなことがあるかもしれないが、いつかきっと 素敵な港に着くと思うので、その乗組員の一員いなれて嬉しいです。」と言ってくださいました。 

こういう絵が欲しいと思ったら待っちゃう。「美式天然」に満開の一本桜のシーンがありますが、ちゃんと咲くのに3年待ちました。 CGは使ったことがないです。 資金がない分を時間を贅沢に使っています。 大丈夫と言っていたらいつかは大丈夫になると信じてやっています。  モルエラニの霧の中」の続編を撮りたいと思っています。