2024年3月3日日曜日

佐々木優子(声優)            ・〔時代を創った声〕

佐々木優子(声優)            ・〔時代を創った声〕 

ちびまる子ちゃん』のこたけおばあちゃん、「サンドラ・ブロック」や「ニコール・キッドマン」、「エリザベス・ミッチェル」、「メグ・ライアン」など女優の吹き替えでも活躍中です。 1990年からこたけおばあちゃんを担当。 ちびまる子ちゃん』は今年で35年目になります。 あっという間でした。 はじめたときは20歳でした。 老け役は一回もやったことはありませんでした。 オーディションもなく監督から指名され、なんでという感じでした。 

横浜出身で小さいころはお転婆でした。 幼稚園の年長組ぐらいから小学校1年まで児童劇団に入りました。 舞台には憧れました。 中学では演劇部に入りました。 文化祭ではシェークスピアをやったり、3年で部長になってピーターパンを現代風にしたりして脚本も書きました。 高校ではテニス部に入りました。 進路を悩んで、日本テレビ音楽学院と青年座は残って両親の意見が違うなか、最終的に日本テレビ音楽学院に通う事になりました。 声優の勉強もあり特待生3人の一人にも選ばれて、水曜ロードショーに見学にも行けることになりました。 でもアテレコには興味はなかった。  或る時に本番中にセリフのひと言がない事で止まってしまって、セリフの重要性に気が付きました。 初めて声の仕事に興味を持ちました。

「がんばれベンジー」が最初の作品です。(1979年) プレッシャーが凄かったです。1990年ちびまる子ちゃん』をやることになりました。 原作をみてもあまり出てこないししゃべらない。 祖母がだみ声なのに或る時に、バレエシューズを手に持って「年寄りってかわいいのよ。」とだみ声から少女のような声で言ったんです。 それが妙に印象に残っていました。  キーの高いおばあちゃんにしようかなと言う風に思いました。  やってみたら駄目とは言われず、原作者のさくらももこさんからは可愛いおばあちゃんにしてくれてありがとうと言われました。 

35年目の『ちびまる子ちゃん』ですが、生活の一部であって、身体の一部であって、と言う感じです。 一番つらいなあと思った時は、一番忙しい時でした。 似たようなヒロインを朝から深夜まで毎日やっていて、芝居のしどころが無いような感じで、自分が見えなくなっていってしまうような感覚に陥てしまって、辛くて声優を辞めたいと思いました。        数年続いて、身体を壊してしまって、(腸捻転で2100ml内出血していた。)入院して5か月仕事を中断しました。 復帰できないかもしれないと思いました。  死んでいたかもしれないと思った時に、昔観た映画作品を舞台化してみたいと思いました。  脚本を書き始めてそれから3年かけて自分でプロデュースして、舞台をやりました。  以後、もやもがそれから一切感じないようになりました。 

若い人へのアドバイスですが、マイクの前だけれど御芝居しようというんですが、本当にそれが必要なのかと言う顔をするんです。  おそらく生き残っている人たちは、声優さんでもおそらくそういうところの感性がある人たちが残ってゆくと思います。 今それだけできればいいかと思いますが、その先に本物の楽しさがあるという事を気が付いてくれたらば、意識してくれたらいいなあと思います。 生成AIに負けないためには人間らしさ、自分が感じている言葉を発するという、それを感じる声優さんになって欲しい。