藤本秀弘(「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」理事) ・「生物多様性の森」のまもりびと
昭和18年滋賀県多賀町生まれ、81歳。 長浜市西浅井町山門の森とのかかわりが始まったのは今から37年前でした。 当時は高校の理科教師でしたが、専門は地質学、生き物は専門外どころかむしろ嫌いな方だったそうです。 そんな藤本さんがどのようにしてこの森の保全に関わるよになり、現在も理事を務める団体、「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」を設立し、今に至っているのか、そして森の将来についてどんなことを考えているのか伺いました。
当初数年続けばいいという考えはありました。 植物関係の研究会に入っていて、こちらは地質学なのでどこか総合的な研究が出来る場所がないかと探しました。 琵琶湖の西側の今津と言うところの近くにフィールドがあると言ったら、別の人が山門を紹介しました。 その場所を選定しました。 1987年3月21日に最初行きました。 その後10人ぐらいで月に一回5年に渡って活動しました。 「奥びわ湖・山門水源の森」は広さ63ヘクタールぐらい(甲子園球場が16個入る。)、そこに3つの湿原がある。 森や水源が生物多様性を持っている。 滋賀県の一番北で、少し行くと敦賀湾が見えるんです。 冬場は豪雪地帯です。 前には琵琶湖があるので夏場は逆の風が入っています。 面白い植物があります。 ブナとアカガシがちょうど境目になっている。 豪雪地帯のユキツバキと平地のヤブツバキがあります。 その雑種が出来てユキバタツバキと言います。
森全体は薪炭木(炭焼き用の木)です。 平安時代の後期にはすでに炭焼きをやっていたという記録があります。 900年にもなり、20年に一回切ってゆくとなるとかなりの回数になります。 人の手が関わり合って今日まで来ています。 琵琶湖周辺には湿地が多数あったが、高度経済成長の中、湿地がつぶされて山門湿原が最後に残っている湿原となります。 湿原そのものが酸性なので、栄養がないところに生える植物が結構多く観られます。 絶滅滅危惧種などもあります。 日本にはトンボは約200種いると言われていますが、そのうちの100種類ぐらいは滋賀県にはいます。 そのうちの半分はこの狭い湿原にいます。 ミツガシワと言う植物が可成り広いの面積を占めています。 元北大の湊?先生の本の中にミツガシワがあり、それは生きている化石だという文章を覚えていました。 それが一つのきっかけになったかもしれません。 白い星のような花びらがあり、そこに繊細な毛が生えています。
一時期そこに開発の手が加わろうとしました。 1960年代ゴルフ場ブームがあり、ゴルフ場に植える芝を湿原で栽培しようという話が持ち上がり、一部工事をはじめました。 保安林でもあったのでその事業は中断しました。 その後ゴルフ場として開発しようという事が表面化しました。(1990年 新聞報道で知る。) 重要性を県、地域に説明ししました。 アマチュアのメンバーだったので行政への圧力はなかった。 1992年に調査した報告書を作って、一旦終わりという事にしました。 自然の貴重性とかなんか惹かれるものがありました。 バブル経済の崩壊と言うことでゴルフ場開発もとん挫しました。
1996年に滋賀県が買収をして県有地化されました。 しかし盗掘などに困っていました。 専従の件の職員を置いて欲しいという要望を出しましたが、人件費の問題もありかなえられませんでした。 我々の方で保全に関われるようなグループを作ることになりました。 それが「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」になって行きました(2001年)
最初はコース管理と湿原に入って来る土砂の管理で精一杯でした。 1960年代に一部芝の育成用に開発した部分がありましたが、すでに40年近く経っていました。 もともとは湿原だったが、樹林に変っていました。 湿原に戻そうと、県と相談して、最初は狭い範囲で取り組みました。 10m×10mの樹木を取って3年経過を見ました。 湿原の植物、トンボなども戻ってきました。 その後全面積に対して進めて行きました。 2007年から復元作業に入りました。 終了したのは2010年でした。 呼び掛けて手伝ってもらって574名最大でかかっています。 作業した日は152日になります。 切り倒した木は人手で湿原の外に運び出しました。 湿原を維持するためには人手を加えて行かないと維持できない。
1990年代ミツガシワが結構ありましたが、2000年代に入って鹿の食害が進みだして、2010年には全く咲かない状態になってしまいました。 2011年から防獣ネットを張って、再生を試みました。 8,9頭ネットにひっかかりましたが、ネットを破って中に入って食べるという事もあり、毎日見回りをしました。 数年やっていて、現在は中に入って食べられるという事はありません。 ほぼ従来と同程度までは再生してきました。 冬場は2m近く雪が降るのでネットを外す作業があり取り付けの作業もあります。 山頂にある笹も鹿に食べられてしまって、その対策でネットを同様に張って、笹も回復しています。
生物多様性の保全は難しいです。 昔は保全と言う意識はなかった。 人と自然との営みの中で多様性が維持されてきている。 人が引きあげてしまうと保全しようとすれば、当然なにがしかのテコ入れをしないと実現しない。 2050年にどういう森であって欲しいか、という議論をやっています。 引き継げる森にしたいと思っています。 若い人たちに入って議論してほしいと思っています。 会員は130名程度で推移しています。