藤井フミヤ(ミュージシャン) ・〔アート交遊録〕 アートワールド~藤井フミヤの世界
ミュージシャンとしてだけではなく、画家としての顔を持つ藤井フミヤさん、1983年にチェッカーズのボーカリストとしてデビューし、当時の音楽シーンを席巻しました。 歌手として活躍する一方、子供のことから絵を描くことが好きだったフミヤさん、本格的な画家としての活動はデジタル技術を駆使したCG作品の製作からでした。 その後16年の長い沈黙の後再びアート活動を再開、油絵や水彩画にとどまらずシールや針金を使った作品を生み出し、海外や全国の美術館で展覧会を開くなど、クリエーターとしてのマルチな才能が注目されています。 今年に入ってからもデジタルとアナログで創造する藤井フミヤ展「フミヤアート2024年」を開催すると同時にステージでも全国で精力的に活動を続けています。 音楽とアートで時に甘美に時にファンタジックに表現の世界を広げ続ける藤井フミヤさんにお話を伺いました。
八戸市美術館で展覧会が開かれている最中です。 モチーフが女性が多いんですが、見やすいというのがあるのかもしれない。 自分でも作ってみようという気持ちになってくれたら嬉しいです。 ミュージシャンとしてのファンは40,50代ですね。 2世代目もいます。(30代) 材料も色鉛筆、クレヨン、針金、シールとかいろいろあります。 女性を美しく描こうと思っているんで、女神みたいな気持ちで描いています。
音楽の成績などは良くなくて、美術は100点でした。 デザインとかに行くのかなあと思っていたら、テンエージャーのころバンドをやり始めて、音楽になって行きました。 子供のころは絵を描いたりするのが好きでした。 東日本大震災の時には歌わせてもらったり、チャリティーアート展をやって、それを全部寄付しました。 接して元気を貰うような気がしました。 チェッカーズを解散して最初にやったのがアートの仕事でした。 その後3,4年はデジタルアートを作っていました。 いろんなものに興味を持って自分が何者か判らなくなりました。 一回すべてやめました。 音楽だけをやることにしました。 趣味程度に絵を描いていたら、或る人が個展でもやってみないかと言われて個展をやったら反響がありました。 グッズとかも自分でデザインしたりしていましたし、パンフレットとかなんでも自分でやっていました。
16年のブランクの後はアナログになってしまいました。 コンピューターで描くよりも筆で描いたほうが面白いと思いました。 油絵なども本を購入して勉強しました。 チェッカーズのころは週に5本ぐらいのレギュラー番組がありましたが、今は自分たちがでられる歌番組はほぼないです。 最初は真似ですが、自分のオリジナルを描くことが大切に思っています。 アンテナは張り巡らしています。 細密画、日本画も好きです。 伊藤若冲はブレークする前から好きでした。 一番最初は宗教画が好きでした。 何で厳粛な場なのに裸なの、という疑問がありました。 背中に羽が生えていたりして、宗教画にSF感を感じました。 最初のCGの作品もデジタル宗教画を描きました。 きれいな女性の裸婦を描くようになりました。(宗教くさくはない) 女神というイメージ、それと生命は意識せざるを得ないです。 生とセックスと死と。 アートは面白い世界です。
チェッカーズのボーカルとしてスタートしてから40年になります。 紅白に出場しましたが年齢は上から三番目になってしまいました。 グループで活動していた時には援護射撃が有ったような思いがしますが、一人になると自由な気楽さはあります。 音楽の世界は愛しか描いていない。(ラブソング) 歌は団体を動かす力、一体感といったものがあります。 音楽はもう仕事ですね、ライフワークと言うか。 ファンとのの長い付き合いもあるので「辞めた。」という訳にはいかない。 音楽も、絵もここまでに仕上げるというものがないと作品は中々上がらない。
細かい作品を長い時間かけて描く時には首を保護するためにコルセットを付けてやっています。 水も飲まずトイレもいかず、気が付いたら4,5時間集中していたという事は結構あります。 画家は長生きが多いです。 ストレスがないのかもしれない。 歌もコンサートなど発散性はあります。 陰と陽と言った感じです。 40周年記念で全国を回って行こうとしています。 習っていないので油絵は一番難しいです。歌も時代時代で作りたいものが出てきてしまいます。 お薦めの一点。 衝撃を受けたのはバチカンの中にあるミケランジェロのピエタ(聖母子像の一種であり、磔刑に処されたのちに十字架から降ろされたイエス・キリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアをモチーフとする彫刻)です。 人間技ではないと思いました。