田中星児(歌手) ・【時代を創った声】
奈良県御所市生まれ、73歳、NHK「おかあさんといっしょ」の初代「うたのおにいさん」として知られています。
1976年大ヒットした「ビューティフルサンデー」 昭和45年にNHK「ステージ101」のヤング101のメンバーの一人としてデビュー、翌年から『おかあさんといっしょ』の初代「うたのおにいさん」を6年近く務めました。 「ビューティフルサンデー」、「北風小僧の寒太郎」、「ヤンチャリカ」などといったヒット曲を歌いました。 現在も子供から大人まで楽しめるコンサートや作曲に励んでいます。
2年前に心筋梗塞をやってしまって発見が遅れて心臓が1/3壊死してしまって、歩かなくては行けなくて一生懸命歩いています。 コロナ禍でイベントも無くなってしまいました。
父親が高校の音楽の教師をしていて、ピアノを弾いていたりして、父親の足元で聞いたり、レコードを聴いていました。 童謡など子供のころ歌っていました。 ポール・アンカ、ニール・セダカ、中学でプレスリー、高校でビートルズが好きになりました。 ギターを買って歌っていました。 高校の頃に或る番組に出てプレスリーの歌を歌って或るプロダクションに推薦してもらいました。 冬休みの1週間だけやりましたが、声が枯れてしまって、プロダクションとは縁が切れてしまいました。 大学で東京に出てきて、歌番組があり「十人抜きのど自慢」とかで十人抜いたりとかして、NHKののど自慢に出て、ポピュラーの部で優勝しました。 大学4年の時に「ステージ101」が始まって、オーディションがあり(ヤング101)、受けました。 歌をやったり、踊ったり面接があり運よく受かることができました。 半年間後ろで一緒に歌って練習をして、その後出られるようになりました。
「ステージ101」ではアメリカではやっていたものとか、オリジナル曲などをやっていました。 踊りはできなかったので最初は大変でした。 1971年に「おかあさんといっしょ」のチラシが回ってきて、受けて合格することができました。 「おもちゃのチャチャチャ」で腰を振るのがよかったと言われました。 「うたのおにいさん」として6年近くやることになりました。 「さっちゃん」とか歌っていきたいと思っていました。 いろんなジャンルの歌があって、楽しい歌があるんだなあとつくづく思いました。 子供だけではなくて、お母さんとかおじいちゃんおばあちゃんが一緒に歌うような感じでよかったです。
*「北風小僧の寒太郎」 作詞:井出隆夫 作編曲:福田和禾子 歌:田中星児
この歌に出会って井出先生、福田先生には感謝しています。 子供用の演歌として作られたようです。 1976年に「ビューティフルサンデー」がヒット、紅白歌合戦にも出場することが出来ました。
その後コンサートを中心にやっていきました。 いろんな時代の楽しい歌を歌っていきたいと思っています。 自作の曲をコンクールに出すとかやって来ました。 なかでも「エトはメリーゴーランド」は最初は1992年に放送され、何度も再放送され、去年の12月から今年1月にかけても再放送されています。
*「エトはメリーゴーランド」 作詞:小黒恵子 作曲:田中星児 歌:田中星児