北島三郎(歌手) ・「歌の道」を歩み続けて(2)
座長公演、46年間で実に4578回に渡って、繰り広げられた公演はお芝居と歌のステージで構成され、華やかで大掛かりなセットも魅力の一つでした。 そこにはお客さんを何としても喜ばせようという北島さんの思いがありました。 そして作詞や作曲にも取り組み、「祭り」や「年輪」などの名曲なども生み出してきた北島さん、その音楽はどう作り上げてられてきたのか、北島さんの歌の哲学に迫ります。
劇場公演4578回、その一回は4時間あり、前半がお芝居、後半が歌謡ショー。 これで幕がさがると思った時にさらに幕が割れて、ペガサス、シャチホコ、虎、龍などに乗っかって最後に「祭り」を歌う。 お客様に満足してもらって帰ってもらうように、という思いがあり、自分で、作る方と相談しながら、歌いながら自分でやっています。 ラスベガスに何回か行って、これを日本風にして取り入れてやろうと思いました。 お客さんの中に飛び込んでいかないといけないと思っています。 壁を作ってしまっては駄目です。
いろんなものを見て、いろんなものを拾って、いろんなものをいただいて、それに味付けをして出すと又絶対喜んでもらえます。 舞台は私の戦場なんです。
「祭り」は座長公演の締めくくりで歌われ、NHKの紅白歌合戦でも7回披露されました。 作詞:なかにし礼 作曲:北島三郎
7回やっていますが、それぞれ違ってきています。 赤組も白組も全員集まって来てくれて歌う、感謝を感じて、今年一年有り難う、来年も頑張ろうね、という意味での「祭り」です。
作詞、作曲で「年輪」、「山」など数々作っていました。 波の音を聞いてもカモメの音を聞いても作曲はできます。 見たもの聞いたものを拾って一つのものに書き上げます。 アメリカはジャズ、フランスにはシャンソンがあり、日本には演歌、それは生活の歌です。 伝わらない歌を一所懸命やっていたのでは誰もいいと言ってくれない。 歌とは何だと言われても難しいですね。 歌は人生の肥やしかもしれない。 だから暗くなってゆく歌は歌いたくない。 慰めてくれたり、励ましてくれたり、元気づけてくれたり、心の支えになってくれるのが、歌かなあ。 84歳になりましたが、いろんな人との出合い、いろんな障害もあるが、道を歩いてきて、このごろは歌わせて貰ってありがたいという気持ちに変わってきた。 ライバルは誰かと聞かれるが、一緒に出た人、これから出てくる人たちはみんなライバルで、先輩は尊敬です。 思い出やら今迄の生き様を、戻れない人達のために、歩いてきた道にいろんな足跡があるだろうと、そんな思い出を思い出させてあげる歌必要だろうと、そういう歌を歌ってあげようと思います。
今歌いたいという思いは、よぼよぼした身体で体調がよくないのにお客さんに迷惑を掛けちゃうなあという事は凄く感じることで、プロとしては恥ずかしい事ですが、でも座っても倒れても歌わなければならないのがプロかもしれない。 体調が悪いと思いながらも舞台に上がる事で生かされるわけです。 戦いがまだ出来るうちは何を歌いたいというよりも、この人達に喜んでもらえる歌を歌いたい。 こんにち思うには歌わせてもらえるんだという気持ちに変わってきています。 生かされているので、何かお役に立てることをしたいが、歌しかないので、歌を通じてみんなが元気になってもらえる、土の匂いのする歌、潮の匂いのする歌、ネオンが重なる歌とか、そういった歌を歌っていくのが自分の使命だと思っています。 お客様にかついでもらってこんにちまで来ているので、終わりまで頑張りぬかなければいけないのかと思っています。