2021年3月1日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)         ・【絶望名言】樋口一葉

頭木弘樹(文学紹介者)         ・【絶望名言】樋口一葉 

「たけくらべ」、「にごりえ」の小説などで名高い樋口一葉は、24歳6か月で肺結核のために亡くなりました。  

「これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ。」   樋口一葉

日記が随分残されていて、日記の中の言葉も紹介しようと思っています。

明治5年生まれ、夏目漱石が5歳の時に生まれたことになります。  樋口一葉の父親の上司が夏目漱石の父親だったことがある。   夏目漱石の兄と樋口一葉の縁談話が持ち上がったこともある。  そうなると樋口一葉の人生も随分違っていたと思われる。   樋口一葉は、24歳6か月で1896年に亡くなるが、同年に宮沢賢治が生まれています。

「これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ。」 これは「にごりえ」の小説の一節。  自身の気持ちに近いと思います。

『どうぞお下りなすって、もう引くのが厭やに成ったので御座ります、もうどうでも厭に成ったのです。  何が楽しみに轅棒(かじぼう)をにぎって何が望みに牛馬の真似をする、銭を貰へたら嬉しいか、酒が呑まれたら愉快になるか、考えれば何も彼も悉皆(しっかい)厭で、お客様を乗せようが空車からの時だろうが嫌やとなると用捨なく嫌に成りまする』 「十三夜」の一節   

自分のやっていることが嫌で嫌で、という事はいろいろあると思います。  仕事もいくら厭になっても辞められない場合もある。 もう嫌だ、車を引きたくない、もう降りてくれと言いたくなることはあると思うんです。  自分のこれまでの人生を振りかえった時に、「これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ。」という事になると思います。  私(頭木)も自分の人生を振り返って、一度しかない人生が難病で、これが自分の人生なのか、これしかないのかと思うと本当に嫌でした。

「女の踏むべき道、ふまばやと願へども成り難く、さはとておの子の行く道、まして伺いしるべきにしもあらずかし」        樋口一葉 日記の中の言葉     

女性の進むべき道を進むのも難しく、かと言って男性の進むべき道を進むのも難しい、女性はこう進むべきという道を進めなかった。 樋口一葉は自分で小説を書いて稼ごうとしたが、これもまた難しい。  生きづらい事になる。  社会は男性社会であると同時に健常者社会でもある。  病人にも生きにくい。  自分たちのために作られていない社会で生きる辛さはわかる気がします。

樋口一葉は小学校の途中で辞めている。   小学校の成績が良くて主席になる。 勉強ができたのでかえって母親が心配した。  女の子が学問をするのが将来のためによくないという思いだった。  父親は学校を辞めさせるのには反対する。   樋口一葉は問われるが何も言えなくて小学校を辞めることになる。   樋口一葉は死ぬほど悲しかったと書いている。  父親が知り合いを辿って、和歌を教えてくれる歌塾「萩の舎」(はぎのや)に樋口一葉は入門するが門人が1000人以上いて、上流階級が多くて肩身の狭い思いをするが、発会の歌会で一葉は最高点を取っている、才能を発揮して、のちに塾の後継者という話もあり、女学校の教員にも推薦してもらえることにもなる。   両方ともうまくいかなかった。   兄が結核で亡くなり、父親も事業に失敗して病気になってなくなってしまう。  17歳で母親と妹を養っていかなくてはいけなくなる。   学歴もない女性としては厳しく暮らしむきが厳しくなってゆく。   婚約者がいたが、言い訳をして逃げてしまう。  学歴もなく、女性だと働ける場所も凄く限られてしまう。  借金をしながらの生活が続いてしまう。

「ぜひの目印あらざらん世になお漂う身とかし、寄せかえる波は高し、わが身はか弱し」                          樋口一葉 日記より

小説を書いて収入を得ようとした。  

私(頭木弘樹)も収入を得ようとして考えたが、ベッドで原稿かくことしかなかった。

樋口一葉は小説では収入が得られなくて、借金であら物、雑貨店を吉原遊郭の近くに開く。   そこで見聞きする女性たちを描いたのが「たけくらべ」で、ここに住んで樋口一葉の作風は大きく変化する。   店もうまくいかずに引越しをする。  引っ越し先は隣がお酒を売る店だが、実際には売春している店で、女性たちは吉原よりもさらに虐げられて辛い暮らしをしている。   樋口一葉は女性たちが客寄せのために出す恋文の代筆をする。    そして「にごりえ」という名作が生まれる。  

歌塾「萩の舎」(はぎのや)での上流女性から辛い生活をする女性まで知ることになる。   苦しみを描くことこそ大事だと思います。

「菜根譚」のなかに 「清いものは常に穢れたものの中から生まれいで、光り輝くものは常に暗闇の中から生まれでる」   樋口一葉の小説もまさにそういうものだと思います。

『利欲にはしれる浮(うき)よの人、あさましく、厭(いと)はしく、これ故(ゆえ)にかく狂へるかと見れば、金銀はほとんど塵芥(ちりあくた)の様(よう)にぞ覚えし。』   樋口一葉の日記より     

このころ自叙伝を書こうとして、子供のころ思っていたこと。   5000円札に樋口一葉が描かれている。

「われは誠に窮鳥のとびいるべき懐なくして、宇宙の間にさまよう身にはべる。」

助けが欲しい時に、もう助けを求める先さえないという事はきついですね。

「秋の夕暮ならねど思ふことある身には、見る物聞ものはらわたを絶たぬはなく、ともすれば身をさへあらぬさまにもなさまほしけれど、親はらからなどの上を思い初れば、我が身一ツにてはあらざりけりと思ひもかへしつべし。」」  樋口一葉の日記より 

自殺をしたいという気持ちがここに現れている。

『、、、たはやすきものはひとの世にしてあなどるまじきも此人のよ成り 其こゑの大ひなる時は千里にひひきひくきときは隣だも猶しらさるか如し』   樋口一葉の日記より    (聞き取りにくく正しく記載されていないかもしれません)

『たけくらべ』が一括掲載されると、森鷗外幸田露伴は同人誌『めさまし草』で一葉を高く評価、世間で認められた。  しかし、素直には喜べなかった。

世の中はこんなふうに簡単にこのように有名になって、たやすいところがあるけれども、一方で世の中は非常に恐ろしいものであって、自分の声が広く世の中に届くこともあれば、本当に困っている時には隣の家の人さえ助けを求める声が届かない、という意味です。

樋口一葉が代表作を次々に書いたが、それはたった14か月の間だった。           「患って知る病人の味、かくばかりいやなものとは知らざりき。」              樋口一葉の様な人でも病気がこれほど嫌なものとは、病気になって初めて判る。

樋口一葉は本当は小説ではなく歌の道に進みたかった。   

小学校の時の樋口一葉の和歌  樋口一葉の人生の全体を表している様である。       (筆の命毛→命毛は筆の穂先にもなるし、芯ともなる毛のこと。)

「細けれど人の杖とも柱とも思われにけり筆の命毛」    樋口一葉