2021年3月16日火曜日

川野一宇(元「ラジオ深夜便」アンカー)  ・「ラジオ深夜便」放送開始30周年 アンカートークショー 第四回

 川野一宇(元「ラジオ深夜便」アンカー)  ・「ラジオ深夜便」放送開始30周年 アンカートークショー 第四回

脳梗塞になって右半身がちょっと不自由になりました。  生まれは昭和18年、77歳です。  昭和42年に佐賀に赴任しました。   農業試験場の方と懇意になり勉強して農業のことが判るようになりました。   米は一表60㎏で、田んぼは10アール当たり何キロ獲れるとか、田んぼに入って苗を植えることもしました。   台風の中継をしたりしましたが、先輩からは大げさだといわれたりした。  佐賀で勉強したのは農業と、陶器、磁器作りでした。  その後名古屋に転勤しまして、佐賀での知識が役に立ちました。  四日市の公害が激しくて公害の勉強もさせてもらいました。   東京に来て、次に京都でお茶の勉強をしました。 又東京に戻り、仙台、東京、二度目の京都、福岡で東京に戻ったらラジオ深夜便にという話があり担当することになりました。 

青森県の洋野町というところから92歳の方からラジオ深夜便へ投書をいただきました。   今では100歳を超える方も多くいらっしゃいます。   「絶望名言」 2016年からの放送担当で、最初、希望名言なら判るが絶望名言とはどういう事だろうという感じがしました。  自殺をする人が2万人を越える中で、生き抜くことに結び付く絶望名言だったら、それなりに意義があるのではないかと思いました。  頭木弘樹さんがアイディアを温めていた方で、本人は潰瘍性大腸炎という難病に20歳の時にかかり、13年間病院で過ごしました。   13年後に手術を受けて生き延びて番組に出演することが出来るようになりました。  

取り上げている人がフランツ・カフカ、ドストエフスキー、ゲーテ、太宰治、芥川龍之介、シェークスピアなどそうそうたる方々です。   ちょっとおじけづきました。  頭木さんの本には悲しい時には悲しい曲を、絶望した時には絶望読書と書いてありました。     夏目漱石のところには「呑気とみえる人びとにも、心の底を叩いてみるとどこか悲しい音がする」 これなら理解できると思いました。

カフカは深い洞察にみちた衝撃的な文章を書いた人だと思っていましたが、恋人のフェリーツェ・バウアーに書いた手紙の中にこんな言葉があります。

「将来に向かって歩くことは僕には出来ません。  将来に向かって躓くことこれはできます。  一番うまくできるのは倒れたままでいる事です。」   頭木さんはこれだけは外せないといっていました。   頭木さんがベッドに寝ている時に出会った文章で、この文章が現在の自分にとって一番寄り添ってくれる文章でいい文章だと思ったそうです。  

次に太宰治の文章

「生きていること、生きていること、ああそれは何というやりきれない、息も絶え絶えの大事業であろうか。  僕は、僕という草はこの世の空気と陽の中に生きにくいんです。  生きてゆくのにどこか一つ欠けているんです。   たりないんです。  今迄生きてきたのもこれでも精いっぱいだったんです。」  (「斜陽」より)

「人間は何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも耐えてそ知らぬふりをして生きているのではないのか」  (「斜陽」、「火の鳥」の中の一節)

若い人には響いてくるのではないんでしょうか。  三島由紀夫などは嫌っているが。

シェークスピアの名言

「不幸は一人ではやってもない。  群れを成してやってくる。」(「ハムレット」より)   頭木さんは「わー いやなことをいっているなあ」と解説しながら言っています。    頭木さんは「次の不幸を招かないための、自分はまじないにている」といっています。

「どん底まで落ちたと言えるうちはまだ本当にどん底ではない。」 (「リア王」より)

「人生を恐れないからいい加減に生きてしまう、自然を恐れないから自然破壊をやってしまう、という事でいい加減に生きてしまう」と頭木さんから言われたときに私はぎくりとしました。

ステイホームでひき込まざるを得ないが、萩原朔太郎の名言があります。

「人は私に問うた。   2か月も病床にいたらどんなに退屈で困ったろうと。 しかるに私は反対だった。   病気中、私は少しも退屈を知らなかった。   天井にいる一匹の蠅を観ているだけでも、または給食の菜を想像しているだけでも、十分に一日を過ごす興味があった。   健康の時、いつもあんなに自分を苦しめた退屈が、病臥してから不思議にどこかへ行ってしまった。   この2か月の間私は毎日なすことがなく朝から晩まで無為に横臥していたのに関わらず、まるで退屈という間を知らずにしまった。    私は天井に止まる蠅を1時間も面白く眺めていた。  床に差した山吹の花を終日飽きずに眺めていた。  実に詰まらないこと、平凡無味なくだらないこと、それがすべて興味や私情を誘惑する。」  (「病床生活からの一発見」より)

引きこもりで観察が細かくなる、という事があらわされている。

私たち人間は多分普通は毎日大雑把に生きていると思います。  じーっと観察すると、それまでとは違った毎日が見えてくるなあという事です。  日々生活している自分の家の在り様があらためて見直されてきて、うーんそうかという風になってきていると思います。

人に対する特集が多いですが、引きこもり、不眠症というような形で特集を組んだこともあります。