吉川彰浩(福島県南相馬市 元東京電力・原発避難者) ・東日本大震災10年シリーズ 加害者と被害者の「二重苦」を越えて
1999年から東電社員として双葉町、浪江町で暮らしながら東京電力福島第一原子力発電所と第二原子力発電所で保守管理業務にあたっていました。 事故の後は避難生活を余儀なくされた一方、東電社員であることの後ろめたさによって、自分を隠していた過去があったといいます。 廃炉を支える人たちのリアルを伝えることが廃炉や被災された方々の日常を一日も早く取り戻すことにつながると、2012年に東京電力を辞めAppreciate FUKUSHIMA Workers 福島県で復興に取り組む方々への敬意と感謝の頭文字AFWと名付けた一般社団法人で活動しています。 元東電社員の加害者、原発事故によって住む場所を追われた被害者、二つの側面で福島を見てきた吉川さんに、震災と原発事故後の10年について、今後原発の廃炉や福島の復興にどのように向き合ってゆくのかについて伺いました。
現在南相馬市の小高にいます。 今42歳になるので、19歳の時に来たので20年以上になります。 自責の念に駆られていた自分が人との交流とかによって少しづつほぐされてきました。 1999年4月に東京電力に就職しました。 高校は社員育成用の高校でした。 原子力発電は未来のエネルギーとしてCMでもやっていました。 原子力発電という大きな仕事をやってみたくて福島に来ました。 最初の1年間は研修プログラムがあり2年目からは発電所の運転のプロになるか、メンテナンスのプロになるかの二択があってメンテナンスのほうを選びました。 約9年やっていてその後第二原発に移動して4年近くやっていました。 双葉町ではお祭りに参加したり、飲みに誘われたりとか色々していました。 生活を支えている場所が発電所で、協力企業の皆さんが育て上げた子供に対して東京電力の社員にさせたいというのもありました。 日常生活に溶け込んでいました。
地震の時には福島第二原子力発電所にいました。 運転中だった原子炉は緊急停止されました。 地震から40,50分で津波は押し寄せてきますが、多くの社員は津波を見ていませんでした。 丘を切り崩したようなところで高い場所でした。 山が崩れるような感じの音が聞こえてきました。 下に降りて行って街を見下ろすと、大震災、津波の風景になっていました。 12日午後3時36分に第一原発の1号機建屋が水素爆発、3号機、4号機建屋も水素爆発する。 死んでしまうのではないかと皆言っていて、恐怖感、起こしてしまったことの申し訳なさなど感じました。 対応するなか家族との連絡は合間にラインで送ったりしていました。
罪の意識などもあり、苦しいなか、汚れた人間としての扱い、差別偏見が重くのしかかりました。 起こした側なので黙るしかなかった。 お金のまわりもうまくいかなくて否応なく辞めていく人が多かったです。
東京電力の姿勢というものは社会が求める姿勢とは違っていたと思います。 賠償金では窓口の対応も悪くて、あの対応では怒るよね、というような感じでした。
現場で働く人達、協力企業で働くみなさんは双葉郡、浜通りで暮らしていた方々で住民の皆さんで、労働環境の悪さ、社会的な地位の低さ、差別偏見は私は見過ごすことはできませんでした。 それを本気でやろうと思うと、東電社員としては不可能だと思って、辞めれば出来ると思って悩みましたが、辞めました。 (2012年6月ごろ)
労働環境の悪さ、社会的な地位の低さ、等々泥臭く訴えていきました。 心が追い込まれて自殺してしまう人もいました。 あの時には秒単位でものごとを解決しないと、人の人生は狂うし、人が死ぬと、危機感は強かった。 一般社団法人AFWを立ち上げて、敬意と感謝という意味でAppreciate FUKUSHIMA Workersとしました。 福島第一原発を開かれた場にするために民間として、視察を手段として訴えました。 視察には1000人ぐらい参加しました。 年間2万人以上はあの場所を視察している人たちがいます。 今でも視察のことはやっていますが、力を入れているのが中学、高校、大学生、などに対して講義、授業を行っています。 始めてから3年ぐらいになります。 福岡~北海道、アメリカの大学で5つぐらい回って授業をしてきました。
相手のバックグラウンドを知ることも大事だと思っています。 この地で起きたことが社会を豊かにすることにつながらなければいけないと思っているわけです。 きちんと客観的に批評して変えていかなければいかないことは変えてゆくことが必要だと思いますが、自分に中心を置くのではなくて、今よりも良き未来のために、ある時代においてどんな政策をすべきかが大切なんじゃないですか、と思います。
自分も、組織も、周りもみんなで少しづつ変化していけば、きっとよい未来が待っていると思います。 沢山の方との出会いがあって、変われる自分がいて、自分は誰かの役に立てるかもしれないという感覚、自分自身も未来を作る当事者なんだと、今生きている実感がします。