2021年3月4日木曜日

高橋雅子(ホスピタルアーティスト)   ・被災者の心に希望の色彩を

高橋雅子(ホスピタルアーティスト)   ・被災者の心に希望の色彩を 

病院内の壁などに絵を描いて入院患者や医療従事者を癒そうという取り組みをしています。  東日本大震災が起きた10年前からは活動拠点の東京と東北を何度も往復して、街の施設に絵をかいたり人形作りのワークショップを開いたりして、災害で傷ついた人たちに寄り添ってきました。   アートの力を信じて被災者の心に希望の色を添えたいという高橋さんに活動内容やアートへの思いを伺いました。

絵は花、山だったり自然の絵だとか気持ちいいものを描ています。  病院の受付、入院している部屋、集中治療室、子供たちが遊ぶプレイルーム、食事をする部屋などに描いています。   プレイルームでは虫が遊ぶところとか、太陽、子供たちが大好きそうなモチーフを描きます。   患者さん、先生に参加していただく物つくりの活動は何百と、これまでに日本全国の病院でやってきました。   アートで心の部分を前向きにしてゆくことだったり、心のケアを出来ると思います。   一緒にマスコットを作ったり病院の庭にガーデニングの様な 花いじりをしたりします。  コミュニケーションがとれるようなアートプログラムをしてほしいとか、暗い部屋を明るくしてほしいとか、具体的な相談が来る様になってきました。

ホスピタルアーティストとしては10年前ぐらいからです。  病院に入ったのは18年前ぐらいです。   母親が脳梗塞で一命はとりとめましたが、闘病生活の中で気持ちが前向きになるようなことが出来ないかなと思った時に、アートで出来るのではないかと思いました。   先ずは温かい色、雰囲気が欲しいなと思いました。   最初はけんもほろろでした。   入院生活経験者、患者さんとかにヒアリングをしたら、皆さんとても欲しいという人達がほとんどでした。    或る先生が共感してくれてそこから少しづつ軌道に乗っていきました。    心の色が変わってゆくのを感じました。(20年前ぐらい)

東日本大震災の時には、先ず視察をして、3月末に入って食べ物の支援などをしながら、絵の道具も持っていきました。    マスコットを作る針と糸、絵を描く材料などをもって向かいました。   5人ぐらいから30人ぐらい、場所によって違いますが一緒にやってきました。   自分を取り戻してゆく感じがうかがえました。   仮設住宅に変わっても集会所ができたので落ち着いた環境で作れるようになり、コミュニケーションも楽に出来るようになりました。   仮設住宅に絵を描いたりもしました。   

子供達は色彩のある所に育たないと、好奇心、喜怒哀楽とかが眠ってしまって元気がでるようには育たないと言うデータもあります。   地元の高校生が街がとても沈んでゆくので明るく元気にきれいにしたいという相談があって、街を再生してカラフルにしてゆこうという事が始まり、公園とか塗り替えてゆくことになりました。   感動しました。

車での移動の活動距離は地球を5周分になりました。   心の支援ではアート、音楽、暖かい言葉をかけるとかあると思いますが、アート活動での支援は自分と向かい合うという事を見ていたので、大変な状態ではありましたが、でも必要なんじゃないかなと思いました。自分が作ったという事で前向きになって行くと思います。   

アメリカに留学していた時にベトナム戦争の帰還兵がトラウマに落ちいって、悩んだりした人がいたり、自分の中の悩みとか、社会で違和感があるとか、価値観が違うとか、判る過程にアートが必要だったんだという事が感じられて、人の心を救ったり、人生に大きな効果があったりするんだという事を感じました。  救いを求めている人とかに対してサポートできるような活動をしたいと思いました。  家系が医者だったので、自分には出来なくてアートでもできるのではないかと思って役に立ちたいと思いました。

東京に拠点がありましたが、宮城県に拠点を移して、仕事の本拠地を仙台にうつしました。家族の反対は諦めなのか反対はないです、静かな応援ですかね。

ホスピタルアートが一つの芯になって、この被災地に年内に本拠地を構えてここからいろいろできることと、各地で必要な事を気付いたら飛んで行けるようにして、障害を持っている人たちの将来を含めて応援していきたいなと思っています。