石見周三(音響メーカー社長) ・"おやじベンチャー"で再び挑む
石見さんは66歳、大学卒後1976年大手音響メーカーに入社しました。
営業マンとして過ごし、2008年販売子会社の取締役に就任します。
そのころ音響メーカーはリストラ計画を打ち出し、石見さんの子会社にも社員を削減するよう指示が出されました。
石見さんはリストラを見届けた後、音響メーカーを退社します。
退社した仲間たちと新しい会社を立ち上げ、オーディオ製品の開発に乗り出しました。
新しい会社はいわばおやじベンチャー、どの様に道を切り開いてきたのか伺いました。
仲間社員が10名、会社が発足して9年になります。
演奏会場、ライブコンサートの会場で聞いた、直接録音した音楽を再生すると言う事を目指しています。
売り上げは残念ながら海外を含めて2億円弱というところです。
母が音楽が好きでその影響を受けて、子供のころから音楽が好きでした。
小学校の高学年になり放送部員になって音楽に触れる機会も多くなって、色んな曲を流して音楽が本当に好きになりました。
大学時代に通っていた目黒の駅前にビルが建って、オームと音叉のマークがありました。
このメーカーに入ることになりました。(1975年)
営業マンとして全国に支店があり傘下に営業所があり、エリアにおける家電店にルートセールスとしてお邪魔しました。
経営者とのコミュニケーション、製品説明、良い位置に展示する努力をしたり、イベントを開いたり、在庫の商談などをやっていました。
私はセールスという言葉に抵抗感がありましたが、或る時先輩から「セールスという職種は全ての要素を含んでいる幅広い人間になるためのツールなんだ、凄く大事なことでチャンスなんだと、このチャンスを生かせばどの部署に行っても、今後どんな業務に携わっても必ず勤まるので一生懸命やりなさい」と言われました。
「自分の個性を大事にしなさい」とも言われました。
「主任になったら係長の仕事をしなさい、係長になったら課長の、課長になったら部長の仕事をしなさい、一つ上の仕事を目指しなさい、そうすると新しい広い世界が見えてくるので、自分を奮い立たせて一つ上の仕事をしなさい」といわれ、非常に印象的でした。
山形の営業所の所長の時代に、最初の半年間は売り上げ目標の半分にも満たない状況でした。
或る時発想の転換をしてもっと早い締めを考えて、行動を変えました。
有難かったのは半年間支店長は売り上げの話を一切しませんでした。
凄く苦しみましたが、その後の1年半はずーっと100%達成しました。
支店長には信頼していただいて、私が上になった時の一つの上司像になりました。
後に販売子会社の役員になりましたが、個人の実力と経営能力は別物だと思いました。
冷静な判断力と人間味ですね。
責任感は感じました。
自分で経験してきたので、厳しく叱咤したりとかはあまりやらなかったような気がします。
売り上げが絶好調な人間には色んな事を言いました、気が抜けると駄目になって行くので。
本体の会社がプラズマ事業で大きな投資が必要でした。
販売価格がおちてきてプラズマTVが厳しくなり採算割れということになってきました。
正規、非正規含めて1万人のリストラ計画がありました。
当販売子会社にも80人の削減指示があり、大変なことになったなあと思いました。
東京支店長も兼務していたので、東京以北は全部私ですので、半数近くの人と面接をしました。
年齢が先輩の人もいたし、小さな子供を持つ家庭もありましたし、ローンを抱えた人もいましたし、非常につらかったです。
「貴方の居場所はないんだ」と言わざるを得ず、そういうと「どうして私なんですか、何か私が間違った事をしたんですか。」、「私は会社を愛しています、だから私は辞めるわけにはいかないんです。」とも必ず言われました。
「申し訳ない、ごめん。」としか言いようがなかったです。
話をした相手とよく泣きましたね。
私の心を察して言ってくれて話してくれた人もいました。
目標人数は達成しましたが、自分なりに頭の中を整理するつもりで、4つ下の人が社長をやっていて私が2番目だったので、彼を残して私が辞めることが合理的なんじゃないかと思いました。
辞めたのは57歳でした。
プラズマの国内販売する会社の立ちあげをやろうと言うようなことを考えつつ、将来に向かって何かできることはないだろうかと仲間を集めて合宿をしました。
10名で議論をしました。
プラズマでは採算は取れないだろうという結論に達しました。
経験のあるオーディオならばできるのではないだろうかということになりました。
10名の平均年齢は52歳でした。
オーディオは狭くなって行きそうな市場ですが、音楽産業そのものは拡大の一途をたどっています。
安定した市場だとは思っていて、参入が少ない所に参入することに意味があるのではないかと思って、他にないような価値をお届けすれば判っていただける人がいるのではないかと思いました。
部品調達など今までの環境の中から独自性は強められたと思います。
自然素材を使う事で密閉性の良い、木のぬくもり、余韻のある音、雲母によるクリアな音の製品作りをしています。
製品開発から売り上げが得られるまで、10カ月かかったので運転資金に苦労しました。
市場からは癖のない、透き通ったアンプだと評価を得ました。
その一号機アンプが今でもコンスタントにずーっと売れていることは有難いことです。
全員が老化しましたが信頼は得ました。
海外の動きが良くなってきているので、海外のショーに参加することを積極的にやっていきたいと思います。
信じあえる仲間がいると言う事は感謝と喜びです。