2019年4月24日水曜日

松原哲哉(常磐大学准教授)        ・【心に花を咲かせて】身近な環境再生を考える

松原哲哉(常磐大学准教授)     ・【心に花を咲かせて】身近な環境再生を考える
身近な環境を再生する二つのプロジェクトに取り組んでいます。
一つは大学の敷地内にある荒れ果てた場所を整備して、近くで絶滅の危機に瀕したゲンジボタルが住めるように整備する環境再生活動、もうひとつは茨城でも問題になっている耕作放棄地を再活用して地域を再生すること、そのどちらも授業としての活動でそれが大学が求められている地域社会への貢献でもあるわけです。
実は松原さんは京都大学でイタリア美術史を研究して、イタリア美術史の専門家です。
何故美術史の先生が授業として環境再生、地域再生に熱心に取り組んでいるのか、お聞きすると美術史も環境再生も根っこは同じで何の矛盾も無いと言う事です。

大学の敷地内の活動場所、川が流れている、もともと荒れたところを再生すると言う事を授業の一環としています。
30年ほど前に当時の理事長の発案で大学をあげて活動した水生植物園がありましたが、理事長が亡くなられて放置されて、ジャングルのような状態になっていしまっていた。
自分たちの手でもう一遍美しい状態にしようと学生たちと始めました。
自分たちの手で守り作り変えて行くということです。
地域に真摯に向き合って地域を改善して行くと言う人材を育てたいと言う大学の一番大きな方針があります。
荒れた状態すら気付かないと言う悲しい状態が大学も周りに沢山ある様な気がします。
90%以上の学生が地域から来ているので、自分の地域の中で自分の手で環境は作り変えて行けると言う意志、行動力を持つという事が地方の大学には大事な事だと思います。
2013年からやり始めて翌年に蛍の幼虫を頂いて幼虫を放しましたが、成虫となりその翌年はその成虫が自分で卵を産んでそれが成虫になる、そのサイクルが確立しました。
それが4年位になります。

生物学者ではなくて生物の勉強をしているわけではないです。
環境整備をする中で蛍のことなど学んできました。
他の蛍を再生している所4団体と連携しています。
今の子供は怒られることがあまり無いので、怒られることに対して打たれ弱いところがあると思います。
次どうしたらいいかとよく聞くんですが、大学外ではそんなもの自分で考えろと言ってくれる人がいるので、なかなか教員にはいないです。
自分が何をしていかなければいけないのか、自分で考えて段取りして行動することができるようになってきます。
自分の活動の意味みたいなものを社会に開きながら確認していって、それを又活動にフィードバックしていきます。
常磐大学ファームプロジェクト、荒れたところを綺麗にして再生することもやっていますが、こちらのほうが蛍の再生より歴史が古いです。
茨城には12年前 過疎化高齢化に苦しむ地域があり、耕作放棄地をお借りして地域と大学が連携する一つの窓口というか、地域の現状もしっかり体験します。
地域の人に指導してもらいながら小麦と蕎麦などを作っています。
地域の方が温かく迎えてくれます。
学生たちは地域の温かさに触れて、大学でもいろいろ問題になっていることがあるが、温かさが解決する糸口になるのではないかと思います。
人間教育をさせてもらっているような気がします。

茨城は魅力に欠けると言うようなこともありますが、茨城には色々素晴らしい事をやっている人がいっぱいいます。
対象に接してみないとなかなか判らない所があると思います。
美術史とフィールドワークは一見すると関係がなように見えるが、コアは同じように感じます。
自分の身の回りの中から価値というものを自分の目で発見して、自分の手で価値を改善して行く、この技を磨くことだと思います。
小さいころから絵を描く事は好きでした。
画集などを見ているうちに、色んな画家に興味はあったが、木の根っこになる人から美術史を始めたら面白いのではないかと思いました。
それがジョットだと言う気がしました。
ジョットは宗教画家で神の世界を描いている。
神の世界がジョットの中で聖なるものと俗なるものが、いままでのバランスとは違って、俗なる部分が芽生えてきているような感じでした。(中学2年の頃感じた)
ジョットはスクロヴェーニ礼拝堂の西側の壁には最後の審判が、東側の内陣には大天使ガブリエルと聖母マリアとの受胎告知が描いている。

ジョットはエンリコ・デッリ・スクロヴェーニが描いてほしいものを造形化したと思います。 
14世紀の大金持ちは天国に行きたいと思っているが、自分のような高利貸しというようなあこぎな仕事をしていると天国にはいけないと、人間の心情というものにジョットは絵の中で聖母マリアと寄進者とを大きさを一緒に描くことによって信仰市民階級が天国に行きたいと言う気持ちを具体的な形で描いている。
これは思想革命ですそれが表れているのがジョットの作品だと思います。
西洋絵画の出発点というようなものの中には彫刻があります。
ジョットはキリストの十字架像を描く時に死んでしまった十字架像を描いているんですね。
罪に問われることは無かった。
深く探求すればするほど色んなものが見えてくる。

身近にこんなに手を入れたら大きく変わる自然というようなものは、実は身の周りにあったんだと言う事に気付くことでしょうね。
気付くためには実際に物に触れなければ気付けないと思います。
人が手を入れるとこの様になるんだと言う事に判るようになたっと学生も言っています。
イタリア人は自分の住んでいる地域の入れ込みが強い、これが面白いです。
価値発見、価値発掘、発掘して発展させてゆくという事が非常に大事なように思います。
西洋美術史で培われた目、多様な価値観、そういったものが最終的には自分の地域でどのぐらい生かすことができるか、ここが最終的なことになるかと思います。