保山耕一(映像作家) ・「一滴(ひとしずく)に命をうつす」
56歳、TVカメラマンとして活躍していましたが、6年前末期がんと診断され、余命宣告を受けました。
今は治療を続けながら毎日早朝から、奈良の景色を撮影して編集し、インターネットでその映像を伝えています。
季節の移ろいや一瞬の輝きを捕えた保山さんの映像は、見る人に力を与えています。
自らの命と向き合いながら撮影を続ける保山さんに伺いました。
朝起きて、空を見て、風を感じて、これならここに行ったらいいものが撮れるのではないかと閃いて、始発電車に乗って現場に行く毎日で、プランもなにもないんです。
日々何を撮るべきか考えた時に、今日しか撮れないものがあるはず、今日しか撮れないものがきっと一番美しいはずだと、そういう確信があって、結果として365日、一日一日変わって行く季節にレンズを向けています。
奈良の自然を歩いていると必ず何か見せてくれる、必ず引きこまれるようなるような美しい風景が待っていると思っています。
TVカメラマンとして働いていたころに比べれば、のんびりしたものです。
4、5時前には自宅をでて始発電車に乗って奈良駅まで来て、6時の興福寺の鐘の音を聞いて、今日はどこに行こうか、決めていきます。
夕方、夜までに帰って、その日のうちに編集してSNSに映像を日が変わる頃アップします。
厭なことがあっても映像を見て幸せな気持ちで眠れますとか、頑張れますとか色々見てくれる人たちがいるので、今の奈良を伝えたいと思っています。
自然の移ろいは正直で、規則正しくて、たまに大雨、台風が来ますが、順番に春が来るし、夏も来ます。
季節が変わるのも余り当たり前のように思わなくなりました。
春が来ることも、花が咲くことも奇跡だし、有難く感じるようになりました。
一番綺麗な美しいと思う月は、生れたての月、新月は見えないが次の日は鉛筆で書いたような細い月が見えるんですが、そんな月は誰も探さないですよね。
誰もが見えるが、真剣に探さないと見えない,でも見つけた先には極上の美がそこにはあります。
春日大社の藤の色は本当に特別な色です。
でもいつも見せてくれる訳ではなく、1年のうちに一度は見せてくれる。
早朝薄暗い所で咲き始めますが、その瞬間(5~10分)の間だけ無茶苦茶美しい。
それを見た時に神様の藤だと言う人の気持ちが判ります。
藤が自ら光っているように見えます。
蓮も全く同じで、陽が昇る前2,3分の間だけ特別な色で微笑むように見えます。
どんなものにも特別な色があります、特別な色は命であったり、そこに神の姿を見たりかけがいのないものだと思っています。
撮っている映像の中では色は一番大切なものだと思っていて、絶対妥協できないものです。
絵を撮っていると言うよりも色を撮っていると言った方が正しいかもしれません。
日本人のDNAの中に日本の古来のもの、日本人が親しんできた色がDNAの中に入っていると思います。
本物の色を忠実に撮影したいと思っています。
夕陽のなかでも一瞬の輝きがあるんです、同じ赤ではなくてピークになる瞬間の色が。
一瞬の輝きが撮れているかどうか、と言うことです。
高校3年生の時に学園祭で8mmで映画を作って、上映した時にその映画を見てお客さんが泣いてくれました。
主人公が白血病で何処にでもあるようなストーリーだったんですが、泣いてる方がいて、その様子を見て衝撃でした、凄く感動しました。
こういう仕事だったら一生やっていけると思って、映像に興味を持ったきっかけでした。
(高校卒業後TVカメラマンになるため、アシスタントからはじめ、世界遺産、ドキュメンタリーなど数多く手がけ、第一線で活躍、あらゆる機材の扱いにたけたカメラマンとしての地位を築きあげて行きました)
色々特殊機材があって、表現手段がプラスされる。
大きな番組を任されるようになって2013年夏に自宅で倒れました。
末期直腸がんで何もしなければ余命2カ月といわれました。
明日生きるために何するかという事で、放射線治療,化学療法で手術ができるようになり、直腸全摘、大腸の一部を摘出して、抗がん剤治療が1年ぐらい続きました。
しかし5年後の生きている確率は10%と言われました。
再発するともっとだめになるといわれました。
せめて3年生きさせて下さいと、神頼みしました。
肺への転移を乗り越えて今5年生きています。
仕事仲間はいましたが、仕事を離れると友達はゼロでした。
凄く暗闇の中で一人漂っているような、社会の中で完全に孤立していました。
30年間カメラマンやってきてそれしかできなかった。
それで社会とつながりたいというか、誰かの役に立ちたいと思いました。
まだまだ頑張れるのでもうちょっと頑張っていきたい、という思いがありました。
家の中で過ごしているうちにスマホに動画機能がある事に気が付いて撮ってみようと思いました。
一番撮りたいもの、自分が一番親しんだ奈良を撮ろうと思いました。
最初に撮影したのが、春日大社の飛火野でした。
スマホでも動画を撮ってると撮影に集中で来て、しんどい事を忘れることができました。
生きてると言う事を感じました。
自然の風景の中に身を置いて撮影していると言う事がすごく幸せでした。
水滴、葉っぱの裏に付いた朝露、寒い日の朝に鹿が湯気を立てながら歩いて来る、色んな水が映し出されているが、希望を感じませんか。
水の循環に希望をみます。
水の色んな形、どんな水でもそこになんか自分の姿を見付けることができる、自分も死んであの世に行く時に、朝露が蒸発して湯気になって天に昇って行くような姿で最期をむかえるのかなあと思ったり、まだまだ生きるぞと思ってじたばたして歯を食いしばって水の流れを見ると、結局最後どんな水も流れの行きつく先は一緒だったり、そんなことも感じたり、その時その時の自分の気持ちが水の表情に投影できる。
春日大社も自然界の水の循環、サイクルを体験できる場所でもあります。
100年に一度の雲海を撮ったと思いました。
その時にはもう撮影は出来ないと思っていた時期で身体も心も弱っていました。
3時に起きて外に出たら夜霧が出ていて、若草山に登って日の出とともに雲海がぶあつくなって行って、奈良盆地見渡す限り雲海でした。
御蓋山が沈みかけるほどになったが、不思議はことに山頂は残っていました。
御蓋山は特別な山だなあとその風景から凄く感じました。
もっと頑張ったらこの風景みたいに、もっともっと奥があるから諦めずに撮り続けなさいと言われるような、神様と繋がったような感じがしました。
自分の能力だけではなくて何か別の力が働いているから、僕の行く所行く所すべて良いタイミングで撮影することができるんだなあと思うようになりました。
今思いますが、撮らせていただいているんです。
撮っていいよと言っているような感じで、美し風景が広がる。
役目を与えられているような気が日々強くなって確信に変わっています。
余命宣告されたときに、全部無くなって後は死ぬだけだと覚悟していたのに、コツコツ一日一日積み上げていったらいろんな人が僕を見てくれて、状況が変わっていって人生って不思議な感じがします。
余命宣告された人に僕が支えられている面もあるんで、お互い支え合って頑張れていることに感謝しているので、一日も長く続けたいと思っています。