2019年4月22日月曜日

竹本越孝(女流義太夫太夫)        ・【にっぽんの音】

案内役 能楽師狂言方 大藏基誠

義太夫近松門左衛門が『世継曽我』を書いたが、元禄時代に竹本義太夫が、その旗揚げとしてこの『世継曽我』を語り評判をとる。
歌舞伎などにも影響するが、元々は人形芝居の進行役として義太夫がありました。
男性の音楽としてなりたった。
三味線も太棹で激しく強い三味線が特徴です。
江戸期の女性の芸人はなかなか普通には出られなかったが、女性はお座敷などで披露してきた。
女流義太夫は風紀を乱すと言う事だった)
遠山金四郎女流義太夫を目の敵にしていたようです。
明治になってそういったことから解放されて、一気にブレークしました。
女義太夫は人形も人間も付かない、素浄瑠璃と言って三味線で語るシンプルなものです。
浄瑠璃の寄席でやりますが、人がすごくて大変な騒ぎでした。

応援するために「どうする連」が出来て、クライマックスになると「どうする どうする」と声を掛けます。
自分の興奮状態をどうしてくれるんだ、という意味でお客さんが「どうする どうする」と声を掛けたようです。
人気のある太夫は寄席を掛け持ちするため人力車で廻るわけですが、連の方たちはそれを追っかけて行くわけです。
いわゆる「追っかけ」で、この言葉は女義太夫のこのことから生まれた言葉です。
現在も「追っかけ」が使われているわけです。
「寝床」という落語がありますが、そこに義太夫の話が出てきます。
義太夫は美しい声を聞かせると言うものではないので、誤解されるところがあります。

菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ):義太夫 三大演目の一つ
上演する頻度が大変高い。
菅原道真が藤原 時平の陰謀によって、左遷された事件を題材にしている。
「寺子屋の段」の一部を竹本越孝が演じて紹介する。

声と三味線だけで芝居を作って行く。
歌いあげるのでオペラのアリアみたいなところが義太夫にもあります。
女流義太夫の特徴的なところだと思います。
最初は息と声を作るために大きな声を出すが、そのうちうるさいと言われます。
息に乗せて声をだす。
エディット・ピアフが大好きです。
私の義太夫の原点はエディット・ピアフにあったのかなと思います。
*「アコーディオン弾き」

学生時代に大好きな先輩がいて、浄瑠璃のレポートを書きたいと言う事で、時間が無くて義太夫のことについて聞いてきてほしいと言われ、竹本越道さんに電話して教えてもらおうとしたら、「おいでなさい」と言われました。
義太夫を先ず聞いて、また来なさいと言われて、そのうち義太夫を一緒に習ったりしました。
或る時連れられて『壺坂観音霊験記』を聞く機会があり、聞いているうちに引き込まれてしまいました。
躍動感があり、お芝居を見ているようでした。
女流義太夫の後継者が余り居なくて、若い人にやってもらいたいと言う事がありました。ずるずるといつの間にか、竹本越道師匠の芸と人柄がたまらなく好きになりました。
日本の音とは・・・「木の音」ですかね。

竹本越孝
1972年 竹本越道に入門
1974年 上野本牧亭で初舞台
1976年 芸団協新人奨励賞受賞
1994年 (財)清栄会奨励賞受賞
2000年 重要無形文化財義太夫節(総合指定)認定
2007年 女流義太夫初の海外素浄瑠璃公演(フランス)