高橋はじめ(民話の語り爺) ・民話の種をまき続けて
新潟県在住 83歳 長く教師として働きながら、故郷秋田の民話を語る活動を重ねてきました。
NHKのラジオでも民話語りをなさったそうです。
3年前秋田県から妻の出身地の新潟県の阿賀野市に移住して、そこでも一人でも多くの人に民話の魅力を伝えたいと奮闘しているそうです。
高橋さんは「民話の語り爺」と云う風に名乗っているそうです。
「昔っこあったぞん、子供たちが遊んでいたあ、鬼がぼーんと来たんだと、おっかねーなあ。
その鬼が何と大きなおならをしたんだと、おかしいなあ。
ところがあんまりい大きなおならをしたんで、腹破けてしまって死んでしまったんだと、かなしいなあ、これでおしまい、とっぴんぱらりーのぷー。」
「とっぴんぱらりーのぷー」は秋田の語りの最後の言葉に成っています。
重要な儀式のときに語ったのが「尊いのはらいたてまつる」としめたのが、どんどん変わってきて「とっぴんぱらりーのぷー」に成ったのではないかと思います。
訛りはもう若い人には無くなってしまった時代なので、せめて昔語りぐらいは故郷の何かが入っていたらと思いました。
「民話の語り爺」の方が親しみがわくと思います。
おばあさんが夜なべをして筵を織りながら話をする場合リズムに乗ったりするんです。
リズムに乗っているそれがどっか身体の中にしみ込んでくる、これが昔の語りでしたなあ。
TVもラジオもない昭和ひとけた生まれなので、昔話を聞くと云うのが創造力をはぐくんでくれたのじゃなかかなあと思いました。
親と子の語りは少ない、孫に語ったったところの家で語りが続いているんです。
子供のころは冬は男も女も関係なく屋根に上って雪を下ろす、これが一番の仕事でした。
小学校に行くのに、雪の道を行くので昼ごろになったこともありました。
婆さんと、兄弟4人で長男でしたので、食糧難の時は村にお手伝いをして米を貰ってきたりしていました。
私は子供のころは無口な子供でした。
高校の日本史の時に、「山の狼よりもとんどのとらよりも」と言う場面が出てくるが、とんどのとらとは何だろうと思ったが、唐土の虎と中国のことだと判ったんです。
どうして猿を嫌うのだろうと思っていたが、菜園をやって取られたり荒らされて猿の恐ろしさがようやく判りました。
しかる時にはああするな、こうするなといわれると弁解と反発しかないが、昔語りはさらりと笑わせてみたり失敗させてみたりして、あの時は親はこういう気持ちで叱ったのかとか、心のどこかに収まるようになっている。
創造力を持たせるような言葉を入れながら、語っていて素晴らしいと今になって思います。
音の面白さもあります。
基本は単純な事から、耳が心が育って行くんじゃないですか。
小学校教員を20代に放課後掃除が終わった後、必ずお話を肉声で毎日連続ものの様にして聞かせました。
自分が聞いて育ったので、聞かせたら喜ぶだろうなあと思って語ったんです。
登校拒否をしていた子も来るようになったりしました。
民話の笑い話は500位あるようです、人間の心を和らげる。
私は本格昔話を主としてやります。
こっちが一生懸命語ると、それ相応のお返しがある、まなざし、顔の表情、喜びはひしひしと伝わります、そういったことが原動力になります。
聞く方にも語る方もどっちにもいい作用するのが昔語りだと思います。
20年前の子供たちは、おばあさんは横手市の出身だとか感想文が出てきたが、よくもお話を本を見ないで出来ますね、というような感想文になり、3年前には、ほんとうに先生の昔話を読んでいただいておもしろかったですという感想文があり、語っているのではなくて読んでいてと言っていました。
今の時代は変わってしまったんだと思います。
いろり、かまど、なべで煮炊きをすると云ってもわからない、話が通用しないことが出てくる。
「闇」ということも理解できない、想像できない。(闇の怖さが判らない)
生活環境、家族構成なども変わってきてしまっている。
過疎化していって、語りなんて余裕が無くなってきて生きて行くのが精いっぱいと云うのが今の世の中だと思います。
語りについて行政が少しでもいいから眼を向けてもらいたい。
お年寄りは知識がある、しかし機会がない。
昔のお年寄りは語り伝えたいと言う気力があったから伝わってきたと思います。
昔話は言葉の博物館です、しかし突然きいても判らない、説明が必要で、ゆっくり子供たちに聞かせる、そうすると成長すると年相応に昔話を思い出す、それが種になるのではないでしょうか。
小学校2年生の時にこういん童話?(聞き取れず)をやるかたが来て、その時に聞いて方言の語りと違って共通語の語りを聞いて吃驚しました。
こういう語りもあるんだと心のどっかにあって、昔話の語り爺、婆をこういん童話?と結び付けて、他の人にもたくさんの人にも聞かせるようになったら、もっと役だつのではないかと言う思いが、私を今まで語らしてきたという結論になります。
種を蒔かなければ苗は育ちません。
語り手養成講座をサポートしていきたいと今やっています。
田舎から出てきて高齢者になられた東北出身の方々に東北の昔語りをしたいと思っています。