2017年6月8日木曜日

跡部治賢(オオムラサキセンター館長)・里山にはばたけ“森の宝石”

跡部治賢(北杜市オオムラサキセンター館長)・里山にはばたけ“森の宝石”
きらきらと輝くオオムラサキの羽の美しさから、森の宝石と呼ばれることもあるオオムラサキ。
日本蝶学会が日本を代表する蝶として国蝶に制定してから、今年でちょうど60年に成ったそうです。
かつては日本各地で見られて身近な蝶でしたけれども、生息地である里山が消滅したり、荒れてしまったりする中で、絶滅が心配される地域も出てきていると言うことです。
山梨県の北杜市で長年オオムラサキの保護と里山の保全活動に取り組んできた北杜市オオムラサキセンター館長にお伺いました。

タテハ蝶の種類の蝶のなかでは日本では一番大きい蝶で、オスが羽を広げると10cmくらい、メスは12cmぐらいあります。
飛び方も勇壮で、飛ぶ音もしますし、滑空もします。
テリトリー意識も強くて、鳥が来ても追いかけたりします。
紫色、コバルトブルーと言うか姿は美しくて里山の宝石とも呼ばれます。
戦後、日本を代表する国蝶を選ぼうという議論があり、オオムラサキは里山に住み勇ましい、美しいといういくつか条件があり、いいのではないかとの意見がでて居たが、なかなか決まらなかった。
昭和32年に国蝶に決まったが、その前年に日本で初めて蝶の切手を作ろうと云うことになった時に、オオムラサキを推薦した先生がいてオオムラサキが切手に成り、それが後押しをしてオオムラサキになったということです。(本当かどうかは定かでないが)

県に依ってはほとんど見られなくなってしまった県もあるが、オオムラサキは里山周りの樹液を吸って生きて居る蝶で、里山がないと生きていけない。
里山の減少、農家の人が腐葉土などを里山から得ていたが、里山に行って手入れをする人たちが少なくなったり、高齢化によって里山へ行く人が少なくなったりしてしいました。
このまま行くと絶滅してしまう種に成ってきてしまった。
昭和55年から長坂中学校の生徒が調べているが、減ってしまっているという状況が続いていたが、ここですこし復元してきている。
里山をつかって生活している人が多いのと、炭焼きで里山を大事にしているということもあります。
オオムラサキは里山の環境のバロメーターです。
クヌギなどは樹液をたくさん出すが、手入れをしないと原生林になってしまって、オオムラサキの住む環境では無くなってしまう。

複雑な里山の環境に順応してきた。(生物多様性)
樹液を出し続けることを促すような生き物もいて、複雑な生態系に成っています。
北杜市にも昔はオオムラサキがたくさんいました。
社会が便利になった半面生き物たちにとっては、住みにくくなった部分があると思います。
子供のころ見たオオムラサキが少なくなったり、里山がすこし違ってきて何かしなければと話し合ったりしたのが、昭和53,54年の頃でした。
地域の人たちが保全、保護しようと云うことは考えていませんでしたし、相手にされませんでした。
オオムラサキの羽化するシーンは生命の躍動感を感じるし、感動は見たものでないとわからないかと思うが、オオムラサキの乱舞しているものを大事にしたいと思いました。
故郷を愛しているからこそ大事にしたいなあと思いました。
やっているうちに仲間を少しずつ増やしていきました。

63年のころに、NHKとかが地域の若者が保護していると言うことをニュースにしていて、63年にオオムラサキ祭りをしようと言うことになり、行政が主導して、その頃から機運が高まって来ました。
平成4年にオオムラサキの里整備事業を行政が取り上げて、そのなかにオオムラサキセンターと云うものを活動拠点として作ろうと云うことになりました。
その前に北杜市にギャンブル施設を作ろうという話があり、それは故郷には合わないのではないかと反対の運動をしていたが、それにお母さんたち(婦人会)が賛同してくれて、段々賛同者が増えて行政の人たちも断念しました。
オオムラサキを大勢の人が見に来てくれて、地域も経済的な活動も活発になるのでということで、そういう方向もあると云うこともあったと思います。

平成7年にオオムラサキセンターが出来ました。
広さは6ヘクタールあります。(ちいさな集落があるという広さ)
オオムラサキだけでなく、虫取りしたり遊んだ体験は大人になっても記憶が残ると思うので、思い出として残してもらえるといいと思います。(体験施設)
子供たちが一時期虫に触らないようなこともありましたが、段々変ってきています。
北杜市にアカマツと広葉樹の混合林が多いがアカマツが枯れてしまうことがあり、枯れる前に伐採して放置していたが、そこにクヌギなどを1年間に1万本ぐらい植えて居ます。
荒れたところを下刈りをして、山を程良くいい状態に管理したり、健全な里山にしようと言うことで年間30ヘクタールの保全活動をやっています。
規模が大きくなったのは平成20年ぐらいからです。
北杜市は別荘が多くて薪ストーブがはやって、薪を売ったりして、そうすると地域の人にも波及してゆくということになってきて、結果として山を綺麗にする人が増えて来ました。

若い人たちに引き継いでゆくときに経済性も考えないと持続が難しいので、そういうことも考えながら若い人たちと一緒にやって来ています。
長くやってきましたが一番の原点は、オオムラサキを愛してしまった事と、故郷が好きだと云うことで次の世代に残していきたいと思っています。
羽化したばかりの美しさは言うことはないですね。