頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】芥川龍之介
「どうせ生きているからには、苦しい事は当たり前だと思え。」(「仙人」芥川龍之介)
没後90週年を迎える芥川龍之介。
太宰治は芥川龍之介を大変尊敬していた。
短編小説「仙人」は23歳、翌年「鼻」を書いて夏目漱石に認められる。
「どうせ生きているからには、苦しい事は当たり前だと思え。」
は短編の中で貧しい男が鼠に向かって言っている言葉。(自分に言い聞かせる言葉)
芥川は生まれて8カ月後に母親は精神病院にはいってしまって、母親の実家に預けられて、叔母に育てられる。
芥川が10歳のときに母親が亡くなり、12歳の時から伯父の養子になって、芥川の姓を名のる。
「仙人」を書く前の親友への手紙のなか、「周囲は醜い、自己も醜い、そしてそれを目の当たりに見て生きて居るのは苦しい。」と書いている。
芥川、太宰ともに繊細で敏感な人だった。
私が病気になった時には生きるだけで大変でした。
よくよく考えるとみんなだれでも生きるのは苦しい。
文学を読むと暗い心、辛い心をとことんまで描いているが、普通に生活していると会話でそこまで心の内を見せることはない。
苦しい時に読むと自分だけではないと言う思いになるし、共感もできるので非常に救いでした。
「人生を幸福にするためには日常の些事を愛さなければならぬ。
雲の光、竹のそよぎ、群雀(むらすずめ)の声、行人の顔、あらゆる日常の些事のうちに無情の甘露味を感じなければならぬ。
人生を幸福にするためには、しかし些事を愛する者は些事のために苦しまなければならぬ。
人生を幸福にするためには、日常の些事に苦しまなければならぬ。
雲の光、竹のそよぎ、群雀(むらすずめ)、行人の顔、あらゆる日常の些事の中に、堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。」
前半はささやかな細部を大切にして、美しさ素晴らしさに気付きていくことが人を幸福にして行くと云うことを言っている。
後半、道端の花の美しさに気付く人はその花が枯れて行く悲しさにも気付いてしまう。
蝶がひらひら飛ぶ事が美しいと感じられる人は、虫の死骸が落ちている無残さにも気付いてしまう。
些細なことで幸せを感じる人は、些細なことで辛さも感じてしまうと、芥川は後半で言っている。(鋭い指摘だと思う)
「敏感」はいい面と苦しい面がある。
一番避けたいのは小さな幸せは感じないが、小さな苦しみだけは感じる人もいる、それだけは避けたい。
「自殺、万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。
道徳的に自殺の不評判であるのは、かならずしも偶然ではないかもしれない。
あらゆる神の属性中最も神のために同情するのは、神には自殺のできないことである。」
死が恐怖でありながら一種の救いとしても扱われている。
病気をした後は、いかに生きるか、ほうっておくと死んでしまうので病気によって首を絞められている感じがしました。
死んでしまいたいと思うようなことは、心のことだけではなく、痛いと云うこともそうで、手術のときに麻酔ミスが合って非常に痛かった。
一晩中苦しんで、これだったら窓から飛び降りると言ったら、ようやく薬を変えてもらえたが、飛び降りたくなるほどの痛みはあるということは判るので身体にしろ、心にしろいくら生きたいと思っている人間でも、耐えがたいほど死にたくなると云うことは判ります。
「人生は地獄よりも地獄的である。
地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。
例えば、餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。
しかし、人生の与える苦しみは、不幸にもそれほど単純ではない。
目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に存外楽々と食いうることもあるのである。
のみならず楽々と食い得た後さえ腸カタルの起こることもあると同時に、又存外楽々と消化し得ることもあるのである。
こういう無法則の世界に順応するのはなにびとにも容易にできるものではない。
もし、地獄に落ちたとすれば私は必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯もかすめ得るであろう。
いわんや針の山や血の池などは2~3年そこに住み慣れさえすれば、格別跋渉の苦しみを感じないようになってしまうはずである。」
現世はいい事が起きるのか悪いことが起きるのかが判らない、その方が悪いことが続く方よりはましだと思うが。
芥川はそうは思わず、悪いことが起きるとわかっている方がましで、先行きが判らないと言う方が地獄よりも地獄的だと言っている。
自分が自殺する理由について、僕の場合はただぼんやりした不安である、何か僕の将来に対するただぼんやりした不安である、と友達への遺書に書いてある。
漠然とした不安が非常につらいと言っている。
あいまいさになかなか人間は耐えられない。
「災害の大きかっただけに今度の大地震は我々作家の心にもおおきな動揺を与えた。
我々は激しい愛や憎しみや哀れみや不安を経験した。」
大地震は関東大震災のことで31歳のときに田端に住んでいた。
芥川は真っ先に逃げるが、奥さんは子供を2階から連れ出した。
奥さんは怒ったが、芥川は人間最後になると自分のことしか考えないものだと云ったとのこと。(翌日熱を出して寝込んでしまう)
こういう弱さを持っているからこそ文学者には必要なのではないかと思います、そうでないと人間の本当の弱さ駄目さを描けないと思う。
「自然はこういう僕には何時もよりもいっそう美しい。
君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。
けれども自然の美しいのは僕の末期の眼に映るからである。
僕は他人よりも見、愛し、かつまた理解した。
それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。」(友人にあてた遺書の一説)
私は病院生活で自然の美しさを実感したが、なかなか本当に自然は美しいのだということに気付けない、死にかけるような極限状態だから初めて自然の美しさに気付ける。
「僕の今住んでいるのは氷のように澄み切った病的な神経の世界である。」
研ぎ澄まされた、張りつめた神経、それでもって世の中をとことん突き詰めた作家だと思う。
芥川は自殺するところまで、鋭い神経で世の中をとことん突き詰めて行って、書き残してくれた。
読んでおくと自分が淵まで行ってしまったときに、非常に役立って、自殺まで行かず助けになるかもしれない。