須藤宰(ビニール傘製造販売会社社長)・ものづくりフォーユー
東京のビニール傘の製造販売会社の社長、須藤さん62歳。
高価なビニール傘を販売して好調な売り上げが続いているということです。
須藤さんの先代の社長が初めて商品化に成功して、当時は月給の1/3程したという値段ですが、1980年代以降、外国からの輸入品が急増して須藤さんの会社の売り上げも大きく落ち込みました。
しかし、或る注文がきっかけとなって新しいビニール傘の開発に成功し、その良さが口コミで広がって、高価なビニール傘という新しい市場を切り開いたそうです。
須藤さんの客の顔が見えるもの作り、そこから生まれたものは何だったのか、伺いました。
1本の販売価格が7000円、ワンコインの傘との違い、全ての部分で違います。
傘はカバー、骨、手元、という3つの部分からできていますが、カバーは透明ですが、濡れてもべたつきにくくて、マイナス20度まで無変化、穴があいていて逆止弁が付いていて、内側から風が抜けて外から雨が入らない穴があいていて、骨はグラスファイバーの太い物を使っていて風速20~30mぐらいまで耐えられます。
年間1万5000本部ぐらいしか作れないが、全部売り切れて、シーズンには2カ月待ちと云うような状態です。
初代は享保6年(1721年)吉宗の時代です。
初代武田長五郎はきざみ煙草の卸業で暖簾を出しました。
2~3代目がきざみ煙草を保管する油紙をつかってカッパを作って、参勤交代などに使われるトラベルレインコートみたいになって、それがきっかけで雨具の世界に入って来ました。
和傘から明治になって洋傘を作って、売ってという形になりました。
9代目(父)がシベリアに抑留されていて、昭和24年に帰って来て、4年間の出遅れがあり後発と言うことになってしまいました。
みなさんが考えて居ないものを作ろうと画期的な物を開発して、それが傘カバーです。
当時カバーの素材は綿で色落ちしやすい防水性がない、という欠点があった。
その上にビニールでできたカバーをかぶせて傘を濡らさないで、という発想だった。
凄く売れました。
コピー商品もできたり、ナイロン素材の合成繊維が開発されて、よく売れたのは3~4年でした。
ナイロンでは傘カバーはいらなくなってしまいました。
ビニールは絶対に漏れないと云うことで、骨に直接張ることを開発しました。
アメリカの軍人家族からテーブルクロスがもたらされ、日本でも売られるようになって、その素材に着目したのが先代とビニールとの出会いでした。
最初切断して、接着したがよくなくて、文献から高周波ウエルダー加工があることを知り、それを日本で部品集めで組み立てることから、ビニール傘の開発が始まり5年ぐらいかかりました。
作った方としては大満足でしたが、販売の方からは置いていただけませんでした。
縫製職人の手をつかって作るものではないので、業界を壊すものだという評価を貰ってしまいました。(既存の販売ルートが使えなかった。)
商品が店先に出るような努力をしました。
布の傘という既成概念は変えられなかった。
東京オリンピックが行われて、アメリカの傘屋のバイヤーが着目して、アメリカで売ろうと話を持ちかけて来ました。
出来るだけ量産するラインを作らなければと言う段階になりました。
4~5年で注文がぴたりと止まってしまいました。
アメリカの業者が台湾で作ってしまうという状況になりました。
国内販売をするしかないと云うことになり、国内販売に注力しました。
デザイン、色などが外国人とは微妙に違って居ました。
透明な傘はだれでも使える傘で、いくら作っても問題がない傘と言うことで、海外で作られるようになってしまいました。
海外で作られるものの7割が日本向けになりました。
生産は最初台湾でその後中国で作られるようになりました。
私は父の会社に入ることになりましたが、その時は半年ごとに売り上げは半分に成っていくような状態でした。
国内の同業他社が段々辞めて行きました。(最大で50社ありました)
なんとか辞めないで少しでもいいからということで作っていました。
お客様の要望の傘で転機を迎えることになります。
透明で大きくて壊れない傘を作ってほしいとのことでした。(選挙のときに使用)
交通事故加害者向けの傘の強靭な骨があり、それを使って1本作りました。
加害者は現場検証に付き合わされるが、その時に2重の事故を起こしてしまい、大きい黄色い色の目立つ物を作りました。(数十本レベル)
傘にはバランスが必要、安定して持ち続けられることが必要。
注文のレベルにとどまらず当時のノウハウを全部つぎ込みました。(3か月ちょっとかかる)
大変納得してもらいまして、口こみで増えて量産レベルになりました。
お客様の顔が見えるようなもの作りをして、お客様が喜んでくれたところでゴールだなとというふうに思うようなもの作りに徹すれば、必ずニーズはあるだろうと思っています。
要望があったものに対して我々なりの提案をする中に、商機が見えるのではないかと思います。
材料を扱っている人はこちらからの課題がないと情報、ノウハウをいかし切れないので、お願いするテーマをいかにお伝えするか、と言うことによって結果は全く変わってきてしまう。
公務の場、お寺の住職が読経する時、芸能人スポーツ選手の屋外の移動の時、16本の骨の傘等色々です。
お客様の要望を聞いて具体的なものに繋がっていきます。
新しい考え方でお客様から認められるようになった来たということでしょうか。
空から降って来るものに対して人間は無防備なので、唯一対応できるのが傘だと思っていて、人を守る道具として扱うのかどうか、行く道は随分変わってくると思います。
お客様の顔を見失わないようにして、もの作りをしていけばもっと役になるものを作れるものと思います。
ビニールの折りたたみは難しいのですが、ビニールの折りたたみ傘を今提案しようと考えています。