髙橋幸枝(医療法人社団理事長・精神科医) ・100歳の女医の“さじ加減”
現在も病院を始めリハリビ、デイサービス、就労支援施設など医療法人理事長として現役で仕事をしています。
高橋さんは人生元気に生きてゆく為には心のさじ加減が大切とおっしゃいます。
100歳の人生の先輩として、精神科医として私たちの生きるヒントになる心のさじ加減を伺いました。
あと5カ月もすると101歳です。
昔は薬を乳鉢で磨って匙で分けて居ました。
「小さなことの積み重ね」出版。
生きて行くと云うことはさじ加減を見極めて行く営みに他ならない。
全部が全部人が違うので、その時によって考えて強く言ったり弱く言ったり優しく言ったり違います。
出身は新潟で、父は医者をしていました。
男の兄弟は大学に行って、私は女学校を出て、職業婦人憧れて居ました。
東京で、海軍省のタイピストとして勤務。
退職し、中国の青島に、その後中国北京にて、日本人牧師の元で秘書として働く。
中国なら青島はいいところだと言われ、ほんとうにいいところでした。
青島の教会に行っていたので牧師さんとして清水安三氏が講演に来られて、感激してお願いして、北京の清水先生のところに変わりました。
北京で清水先生は貧しい人のために学校とか慈善事業などをやっていました。
先生が医者にならないかと勧められ、受けてみようかと思って3~4カ月勉強しました。
戦争が終わって5~6年してインターンをして33歳で医者に成りました。
ここにきてから50年に成ります。
ずーっと内科、小児科をやっていましたが、段々患者の心の中の痛みが身体に潜航するんですね、それで精神科、心の病気に興味をもって勉強しました。
骨折を2回やっています。
初めては92歳の時に大腿骨骨折、歩けるまで1カ月ぐらいかかりました。
家では3階まであるので、頑張りました。
最初の一歩が怖かったです、なにをやるにも同じですが。
一往復100段です、それで筋トレに成ります。
趣味は水彩画で80歳から始めました。(それまでは忙しくてできなかった)
出来ないことをやってみようと思い、NHK通信教育に手紙を出して、描いて送ると添削してくれました。
何ヶ月か描いているうちに楽しくなってカルチャーセンターに行って、知り合いもできました。
山で花を見たり景色を見たりして、きれいだなあと思っても、描くとなるとよく見ないと描けないので観察が細かくなっていきました。
今まで見えなかった美しさが見えるようになります。
そういったことが診察にも応用できます。
100歳になるとなかなか長く描けないし、いい作品も描けません。
数独、数字のパズルは骨折した時に暇なので病院で始めて、それがきっかけです。
食生活はごく普通です、肉、魚、野菜も均等に食べます、サプリメントみたいなものは使用していません。
食べる量は少ないですが、お茶わんに軽くいっぱいぐらいです。
人間にはたんぱく質も炭水化物も必要です。
食欲がないと云う時には抜いてしまうこともあります、身体が要求するときに食べればいいと思っています。
料理は自分でやりますし、楽しいですよ。
新玉葱を電子レンジで5から6分してマヨネーズで食べるのが甘くてうまいです。
風呂は気を付けて入ります、転んだりしてけがをしたりするので気を付けて居ます。
風呂の温度は冬は43度、今は42度にしています。
6時ぐらいには朝起きて居ます。
起きたらすぐに着替えて、朝食の準備をして、新聞を下に取りに行って食べてそれが1時間半かかります。
病院での診察はしませんが、用事があったり会議があったりします。
2回目の骨折をした昨年の3月ごろまでは診察をしていました。
薬を出すのにパソコンを使わなくてはいけないので最小限パソコンはやります。
患者で一番多いのが不眠で、あらゆる病気に関わって来ます。
鬱にしても不眠で訴えて来ます。
患者にたいしてよーく聞きます。
私も身体を動かさないので不眠に成りますが、睡眠剤を飲んだりしています、我慢するよりも飲んだ方がいいと思います。(先生に相談して飲めばいいと思います)
精神科の病気では鬱状態に成りますから、それは鬱病ではないです。
人には悩みはなかなか言えない、人に言えるようになった時は楽になった時だと思います。
先生に会って楽になったとおっしゃる方が居て嬉しく思います。
薬の使用は自分で勝手にしないで先生に相談した方がいいと思います。
よくなったからと言って薬をぱっと止めてしまわないで、徐々に薬を減らしていくようにした方がいいと思います。
私は薬はたくさんは出しません、最小限にしています。
高齢化社会を迎えて、体力、心も弱くなるのであんまり頑張らなくてもいい、自分を甘やかすということもまずいと思います。
我慢しないで苦しかったら我慢しすぎなくて良いと思います。