菅原直樹(劇団「OiBokkeShi」主宰) ・“いま”をともに楽しむ~演じて輝く いのちのひかり~
岡山県を拠点に認知症のお年寄りの介護をテーマにした演劇の公演やワークショップを行っています。
老人ホームで介護職人をしていた菅原さんが実践するのはボケを受け入れる演技です。
介護者が演技をすることで認知症の人と心を通わせることが出来ると云うのです。
地域の中で介護と演劇を組み合わせたユニークな活動を続ける菅原さんにだれもが避けて通れない老いとの向き合い方を伺います。
岡山県内で劇団をたちあげたのが3年前。
劇団「OiBokkeShi」 意味は「老いとぼけと死」です。
多くのお年寄りと接しているうちに老い、ボケ、死からえる大切な事があるのではないかと気づきました。
老人ホームで暮らしている人たちの姿を見ると僕の求めている演劇の姿に近いなあと思いました。
ドラマチックな事だけではなくしずかな淡々とした日常、人間の存在そのものに価値をみいだすような演劇でした。
地域で演劇でやろうと思ったときに、参加していただく方も地域の人たちに成りました。
岡田忠雄さん 劇団の看板役者で2人が出会ったのは3年前でした。
演劇ワークショップを体験した時に物凄く生き生きと演技をしていて参加者の全員が驚きました。
岡田さんは昔から芸事が好きで定年退職後、数々のオーディションを受けてきたとのことで、劇団「OiBokkeShi」の一員なってほしいと依頼しました。
最初に会ったときに僕の事を監督と呼んでくれまして、岡田さんは役割を求めて居るのではないか、自分が俳優という役割を全うするためには、僕が監督をやるという、よし監督を演じようと思いました。
人はそれぞれ役割を持って生きてきて、老人ホームに入る事によって段々役割を持つことができなくなってしまったんではないかと思いました。
人は最期まで何らかの役割を持ちたいのではないかなあと思います。
岡田さんは舞台の上で死ねれば本望だと言っていて、岡田さんが言うとリアルだし、重いんです。
どういった芝居を作るか考えて居なくて、岡田さんの話を聞いて、介護の話を聞いていて、最近妻が徘徊して困ったと言う話があって、徘徊をテーマに演劇を作ってみようと思いました。
徘徊を入り口に認知症の人が観て居る世界を想像することが出来るような芝居が出来たら面白いのではないかと思いました。
劇はこの街そのものが舞台です。
認知症の妻が徘徊していなくなってしまって、みんなで探すが意外な事実を知らされる。
おばあさんはすでに亡くなっていて、その悲しみからおじいさんが認知症に成ってしまったということです。
観客はおじいさんの妄想の世界に付き合わされていたことに気付く。
第一回公演から地域一体型にしました。
面白い融合が地域の中で生まれました。
地域の人たちの支えは重要になって来る、地域全体で見守るようにして、認知症のお年寄りは買い物したり散歩すたりすることができるかも知れない。
認知症に対して理解していないと、家に閉じ込めたり監視したりするようになってしまう。
岡田さんは90歳に近いので、迎えにいったり、いろいろフォローをしました。
或る意味デイサービスのような感じです。
原点となったのは、広島で一人暮らしだった祖母を栃木に呼び寄せたことでした。
ボケを受けいれた方がいいか、ただした方がいいのか悩みました。
認知症を感じ始めた最初の時期でした。
現実に戻ってきてほしいと云う風な関わりをしたが、祖母はキョトンとしていました。
高校入学したときに演劇部に入り、脚本、演出の勉強をしたいと思いました。
俳優の体験もして驚きでした、僕のような人間でも居場所、役割があるんだなと気付き、演劇は面白いと思いました。
その後東京の劇団でさまざま現代の問題を見つめる舞台に立ち続けました。
特別養護老人ホームでも働き始め、介護と演劇は相性がいいということに気付きました。
ボケは受け入れた方がいいんじゃないかと思うようになりました。
ボケを正していては介護する方もされる方も、幸せにならないのではないかと思いました。
認知症の人はすぐ忘れたり、論理的にはおかしなことをしますが、感情は残っています。
論理や理屈にこだわるのでなくて、感情に寄り添う関わり方をした方がいいんじゃないかと思いました。
人を思いやる気持はしっかりあって、しかしそれは中核症状によっておかしなアウトプットに成ってしまっているのかもしれない、介護者は行動にそのまま反応するのではなくてその奥にある気持ちを察する必要があるんじゃないかと思っています。
そうすることによって、認知症のその人の気持ちを受け取ることが出来るかも知れない。
介護現場で働くことによって認知症への考え方が変わりました、認知症の人は色々な事は出来なくなるかもしれないが、今この瞬間を楽しむことが出来ると云うことに気付いたからです。
演劇という表現形式の最大の特徴は、今この瞬間を楽しむ、だと思います。
今この瞬間を楽しんでくれたらすぐに忘れてくれてもいいや、というような感じになりました。
活動するときに必ず守っていること
①相手に寄り添うこと。
②自分の価値観を押し付けず、相手の気持ちを一番に尊重する事。
劇団を立ち上げる時に長兄が自ら命を絶つ。
兄は体が弱くて、職場でも人間関係がうまくいかなくて仕事を辞めてしまいました。(3年前)
相談にのったりしていたが、自分で死を選んでしまいました。
僕は演劇とか介護に出会ったのでたまたま運よく自立できたが、兄とは共通点が多くて根っこは似て居ると思いました。
兄に対してこちら側の価値観を押し付けてしまっていた事はあると思います。
ああした方がいい、こうした方がいいとか仕事を見つけたら楽になるとか、励ましてましたが、結局は兄の心には響いていなかったんだと思います。
こっちの価値観を押し付けると云うことは、人を動かさないんだなあと、当たり前のことを知ったという感じです。
劇団を立ち上げてつっぱしろうと言う気持ちがありましたが、その矢先に兄が亡くなったのでつっぱしらなくてもいいかなあ思いました。
岡田さんのペースに合わせながら芝居が出来たらいいなあと思いました。
目標をしっかり決めずに、いまこの瞬間を共に楽しみながら、演劇をゆるゆると出来たらなあと思いました。
人は段々老い衰えて行く存在で、出来なくなってゆくが、無理をして成長させるのか。
.お年寄りは今この瞬間が一番いい状態で明日は更に衰えて行く、今この瞬間を楽しまないで何時楽しむのか、そうするとお年寄りの認知症のボケも受け入れた方がいいんじゃないのかと思ったわけです。
岡田さんは90歳を超えて居てるのでいつ何が起こるか分からない、岡田さんと一緒に作っているとこれが遺作に成るのではないのかと思ってしまって、そうすると岡田さんが輝きだすんです。
稽古の一つ一つ、この瞬間をたのしむことが大切なんだなと実感します。
次回は看取り演劇ですかね、死と向き合うと云うことになりハードですが、必ずしなければいけないテーマだと思っています。