2016年1月1日金曜日

栗原小巻(女優)          ・舞台、旅、出会い 

栗原小巻(女優)            ・舞台、旅、出会い 
栗原小巻さんは1970年代前後に、NHKの大河ドラマの看板女優として次々とヒロインを務めました。
1967年の「三姉妹」、1970年の「樅の木は残った」など、可憐な姿は皆さんの記憶に残っている事でしょう。
栗原小巻さんはその後人気女優街道を驀進し、TV、映画、舞台に大活躍しました。
映画では「戦争と人間」や「しのぶ川」など、演劇ではアンナカレーニナ、マイフェアレディー等で主役を演じています。
最近は舞台公演が活動の主体になっています。
去年の後半からはシラーの名作メアリースチュアートのタイトルロール役に専念しており、年をまたいで3月前半まで全国各地で公演を続けています。
そのほか、中国やロシアとの文化交流にも力を注ぎ、去年2015年6月に開かれた上海国際映画祭では日中文化交流協会副会長として、上海を訪れています。

NHKの大河ドラマ 「三姉妹」、「樅の木は残った」、「新平家物語」、「黄金の日々」、4作出演
三姉妹では岡田茉莉子さん、藤村志保さんと一緒だったが、大ぜいの記者の前、諸先輩の前大変緊張しました。
元日の放送でした、俳優人生の幕が開いた様な瞬間だったと思います。
撮影が始まった時は21歳でした。(劇団に入ったのも直ぐでした)
三番目の雪という役で、三姉妹が中心になって展開する明治維新に生きる人々の群像劇、初めての時代劇でした。
お茶の稽古をしたり、着物を借りて自宅で着物を着ての稽古をしたりしました。
大先輩の人と話ができたり、大変勉強になりました。
「樅の木は残った」 原作は山本周五郎 原田甲斐の人間像を深めるために青春時代を描く事が必要だという事で五味康祐先生が原田甲斐の青春時代を書いて、私は「たよ」という大事な役だと言われて、受けることになりました。 「うの」が吉永小百合さんでした。
いきなり裸馬で乗馬の訓練から始まりました。

映画では1972年「忍ぶ川」 毎日映画コンクールの女優演技賞を受賞。
雪のシーンを明るく撮りたくないという事でモノクロの作品でした。
その時監督が病での撮影で、監督さんには厳しい時でした。
この時のテーマは命なので二人が結ばれるシーンも、祝言の場面と同じような厳粛な気持ちで臨みました。
「男はつらいよ」にも2作出演 4作目「新・男はつらいよ」 36作目「柴又より愛を込めて」
日本人の心情を描いた国民映画だと思うので、2作出演できたのは嬉しいです。
4作目は脚本が山田洋次さんメガホンが小林俊一監督で、もともとはTVドラマでしたが、TVドラマの時のディレクターの方でした。
どちらも先生役でした。
そのほかには「サンダカン八番娼館_望郷」「愛と死」「子育てごっこ」、「姫ゆりの塔」等。

舞台では外国の作品が多い。
演出家、千田是也 俳優座からの恩師です。
1年に一本一緒に作品創造があり、1994年に先生が亡くなるまで続きました。
毎年どういう作品を作ったらいいか、先生の書斎に伺って作品を探すところからさせていただきました。
資料が山のように積まれていました。
今その社会の中でどの様な作品を選ぶべきかなどを学び、私にとって今何が必要か等、考えてくださいました。
「ルル」という作品 久しぶりに先生の演出をしていただいた作品。
ブレヒト、シェークスピア、ロシアの作家の作品等に出会う事が出来ました。
現在は実の弟の演出家の加来英治 の舞台に上がることが多い。
1995年に先生がいらっしゃらなくなり、「欲望という名の電車」に出演後、は加来英治と一緒にやってきました。
「メアリースチュアート」 シラーの原作  メアリースチュアートが私、エリザベス一世が樫山文枝さん。
奔放に生きた女性。 豊かな感情もあり精神の自由を求める姿に深い共感をおぼえました。
当時スコットランドとイングランドは全然別の国で、単なる歴史劇ではなく、今の政治状況にも通じる問題も抱えています。

舞台の衣装デザインも担当していて、その時間もとっても必要です。
全国72ステージ 上演します、演劇鑑賞運動の中で上演されています。
演劇鑑賞運動の会員になると、舞台との交流、会員同士の交流が生まれます、一体感が生まれます。
その日その日、舞台では作り上げてゆくものだと思います。
TV、映画、舞台 それぞれいいところがあります。
海外との文化交流、1979年中国における日本映画週間 「愛と死」を上演して、翌年「望郷の星」日中合作映画 長谷川テルの役 等に出演。
去年2015年6月に開かれた上海国際映画祭では日中文化交流協会副会長として、上海を訪れました。
日中の交流は平和への道と信じて活動させて頂いています。
挨拶などもありますし、中国語を勉強しています。

バレエでロシアとの交流があり、合作映画3本ありますし、「桜の園」など上演しました。
現在、ロシア文化フェスティバル日本組織委員会副委員長として、芸術全般の交流を進めさせて頂いています。
政治的にぎくしゃくしている時こそ文化交流が必要になってくると思います。
昨年フィギュアースケートのグランプリファイナルでロシアのエフゲニア・メドベデワ、ショートプログラムで1位になった彼女が選んだ曲が「白夜の調べ」、私がヒロインを務めた日ソ合作映画の曲です。
それは日本とロシアの心の交流でした、関係者から伺って感動しました。
中国の北京大学で講演した時に、日本語学科の人と話をした時に「愛と死」のセリフを教材にして日本語を学んでいるという事を聞いて驚き喜びでいっぱいでした。
演劇活動、文化交流が人生の二本の柱だと思っています。