いとうひろし(絵本作家) ・孫に届くことば「だいじょうぶ」
1957年 昭和32年東京生まれ 早稲田大学在学中から絵本を書き、30歳で絵本作家としてデビューしました。
現在は絵本と童話を書く作家として数多くの作品を発表しています。
いとうさんは一人で絵と物語を書きます。
作品にはユーモラスで温かみのある人間や動物が登場するという特徴があります。
代表作 「だいじょうぶ だいじょうぶ」はこの大丈夫という言葉を使って孫とのコミュニケーションを描いた作品です。
絵本では人と動物の関わりを書いた「ルラルさん」シリ-ズ ルラルさんは主人公中年のおじさんの名前です。
童話では猿の遊びや世界を通して子供の日常における出来事や夢、希望をとどけるお猿シリーズなどが代表的作品です。
図書館では絵本、児童童話、幼年童話と区分けされているが、僕としては不満です。
違いは無いです。
絵と文を一人で描いていて、ユーモラスです。
余裕のある時のユーモアと余裕のない時のユーモアは違っていて、余裕のない時のユーモアの方が好きです。
今まで見ていた視点をちょっとずらしてみる、大変だと思っていたことがどうにかやっていけるという様な、大げさに言うと命綱みたいな意味のユーモアが自分にとって凄く重要なユーモアです。
代表作 「だいじょうぶ だいじょうぶ」は出版されてから20年になるが、昨日書いた様に思うし、自分の作品ではない様な気がします。
うちは兄弟4人で末っ子で、父母、祖父母がいて、祖父は物ごころついた時には寝たり起きたりで祖母に世話になっていました。
祖父は怖くて近寄りがたかったが、具合が悪くなり 医者を呼ぶ前に目の前で亡くなった。
人は死ぬんだという事が判って、或る意味有難かった。(小学生の時)
いつか自分も死ぬんだとその時強烈に思って、初めて眠れない位の恐さを感じた。
たいへんな時は祖母に相談するのが鉄則だったので、お婆さんに相談したら軽く「死んじゃったね」と言われた。
「死んだらどうなるの」と聞いたら、「? うーん ・・・ 死んだことがないから判らない」と言われ、
それでその一言ですごい楽になりました。
一瞬だけでも 間を置いてくれたことが、こっちの疑問、恐怖などを正当なものとして受け止めてくれたものと思う。
お婆さんでも判らないことがあり、答えはでない、という事だと思い、納得した。
おばあちゃん子だった。
本の中ではお爺さんが孫をつれて歩くいて、だいじょうぶ だいじょうぶと言ってくれる。
最近はお爺さんお婆さん達が親の様な言い方をして、ちょっと子供にあまり良くない様に思う。
親は責任があり、色々要求するが、お爺さんお婆さんは違う対応をしていた、なにはともあれ受けとめてくれる存在としてあったと思う。
それでいてすじが一本通っていた。
年寄りは長く生きているので長いスパンで物を見ることができる。
こっちが完全に行き詰まってしまっていても、ごめんねと言って行ってみようよ、平気だからと、言葉ではなく行動で教えてくれた。
今のお爺さんお婆さんは元気でお父さんお母さんと同じように元気に行動するので、そのスピードで物事を見てしまう。
世の中の動きを親と同じような物の見方をしてしまう、しかし孫はかわいいと変なふうになる。
病気になったり、老いてゆく事を見せてほしいと思う。
30代後半で親になっていて、親になることが不安だった。
子供が生まれてくること自体が本当に幸せなんだろうか等を考えて、だいじょうぶと思える自分、だいじょうぶと思える自分がどっかで欲しかったと思う。
その意味でずーっとあの形の本になったし、最初はそうだったんだろうなと思います。
そのうちに色々なことを考えるようになりました。
「だいじょうぶ」という言葉は無責任なようにもなるし、とっても重要で力強い言葉にもなる。
「お猿のシリーズ」 「お猿はお猿」
本を作ろうとかして作ってはいない、普段感じられる事、思っている事を誰かと共有したり、共感してほしいという事で何か形にして、それを綴ってゆくよな事です。
忘れることにより、知らない間に解決する事もあると思う。
全体のストーリーを子供は楽しんでいただければいいと思うが、深く読めていける本として自分は作っているつもりです。
お猿を通して人間に生き方、死に方全部描いている。
読む側がどのようなところまで読むかしっかり読めば、そこに何が描かれているか、を書いているつもりでいます。
「クグノタカラバコ」 文字を食べる虫とか出てくるが、あれって日常なんです。
日常的に思っているだけです。
集中して本が読めない時などに、文字が逃げてゆく感覚がある、そうすると食べられた様な感覚になる。
アイディアを練っている様なことは無い、むこうから来てくれる、それが結果的に本になる。
ああでもないこうでもないと色々な事を考えている事が好きなんですね。
人間は相手によって、自分の姿を使い分けている、という事があると思う。
(猿のシリーズのお猿の真似っこ)
本を読むのは同じくらい創造的であって、本は読んだ人のものであって、本は読んだ人の中で出来上がるものだと思っています。