佐藤憲雄(曹洞宗 永林寺住職) ・動かざれば 道は拓けず
宗派の別名は、みなの宗、にこにこ宗という二つの双本山、全て佐藤住職の洒落とユーモアから産まれた呼び名です。
永林寺の本堂の欄間、風通しや明るさを取りこむための天井と鴨居の間にはめ込んだ板には目にも鮮やかな彫り物があります。
龍やクジャク、楽器を奏でるふくよかな天女が彫られています。
江戸時代後期の名をはせた石川雲蝶の作品です。
その本堂を見ながら住職の楽しい話を聞きますと、にこにこ宗の名の通り、笑顔になり幸せがあふれる「幸齢者」になるという不思議なお寺です。
「楽をするより楽しく生きろ」
丸、三角、四角
丸→まだまだ角がある、角があっては傷が付くからもうちょっと丸く成れと右の余白に書いてあったが、左に丸いばかりが能じゃないと書かれてあった。
三角→人生なんて字を書く、恥をかく、汗をかく、この三つを持って生きなさい。
気にいった言葉を石碑にする。
日本四大イシ会 副会長が私と、宝井馬琴
意志、慰師会の会があり、私が慰し会の会長をやっています。
不便なところですが、年にお客さんは3万人位来ます。
「しく日」 4と9のつく日に頭を剃っています。
いつもなら2m位積雪があるのですが、今年は本当に少ないです。
生まれる という字は土に人が傾いている少し関わっている仕事をするから生まれるという字が出来たといわれる。
寺という字も土がある。
昔は人が亡くなると山や野原に捨ててきた。
下に草を敷き、屍を載せて、上に草をかけたというので、葬式の葬は草かんむりの間に死がある。
獣が来て死体に群がるので、弓の中に矢を入れて、入れっぱなしにして追っ払った。
それが弔うという字になる。
浅草でやっているゆうゆう会(遊びの会) 明日 美しい(あすうつくしい)があそびになって、(語源)
教養が脱して趣味になって、趣味が脱したのが遊びになるから遊びが一番高尚。
自分が楽しければいい。
ゆうゆう会に作品を送っていますが、忘れました。
忘れるの文字は心を亡くす、忙しいもりっしんべんに心を亡くす。
仏教で言う馬鹿は熱中するという事、同じ馬鹿でも頭の悪い馬鹿とは違う。
78歳、住職歴は50年になります。
永林寺は530年以上経っています。
宗教は家庭のしつけ、宗教の宗 うかんむりに示すと書く、家の中で示す教え。
人に名前を呼ばれたらハイと言う返事をすなおな心でする、ハイという字を漢字で書くと、拝という字になる。
「ねんねんころりよ・・・」のねんは念仏の念ですから。
昔の歌 「お寺の和尚さんが、かぼちゃの種をまきました。 芽が出て膨らんで、花が咲いて、じゃんけんぽん」
良い種をまけば良い花が咲いて、よい実がなります、人の物を泥棒したり、悪い事をすることを仏教では邪見と言うが、そういう心が起きて来たら邪見をぽいと捨てなさいと言う事から、じゃんけんぽんとなった。
みなの宗、にこにこ宗(2×5×2×5=100)→百薬の長になる。
彫りものがいっぱいあり、美術館の中に住んでいる様なものです。
石川雲蝶作 昔の博打は丁半博打で、丁にばっかり賭けたから雲を丁に任せたという事で雲蝶にしたといわれるが。
200年前に越後の三条で大地震があり、この辺も被害に遭い、本堂を造り変えるのに申請書を出したが、石川ちかのぶ(安兵衛 宮大工)を派遣、作ったのが波に菊の花、波は水、この部屋では仏さまの話をもう一度見ずに聞くという事を表している。
赤ちゃんが胎内に生命を宿った時の子供を、親はまだ子供を見ていないので見ず子といったがこれが「水子」になる。
死んでから第3の人生、亡くなった日から数えると1周忌、翌年は3回忌、これはお母さんから授かった生命から数えだすから3になる。
菊の花を一杯飾るのはこの寺がもとです。(波に菊の模様)
雲蝶という名前を付けたのが当時の住職だったそうです。
住職は今25代目。
10年前(平成16年10月26日)中越大地震がある、この寺も被害を受けました。
池田材木の娘さんが永平寺の副貫首のお嫁さんなり、雲蝶展をやった時に訪ねてきて酷くなった土台を見てうちのひのきでやりましょうと言う事になりました。
地震で香炉が3m位吹っ飛んでいました。
地震の時は大分修理費が掛かりました。(億単位?)
人間のありがたみは、お付き合い、人と人とのつながり。
世界古武道連盟の居合い斬り道(真剣を使う)をやっているが、色々な人が来て協力してもらって、そういう家のなかに家訓があるが、「大才のある人は人を大事にし、人を活かす、中才は縁があっても縁を活かさず、小才は縁があっても縁を気付かず」という事で縁の合った人を大事にしようとしています。
人間の価値は一生懸命やる過程を楽しまなければいけない。
地震があったから新しい会えない人に会えたんだと、思う。
焦らず、腐らず、負けずに生きればいいんじゃないでしょうか。
頭文字を取ると、あくま(悪魔)となるが、悪魔退治は飽くまで
43歳のころに脳卒中を患う、悪魔退治は飽くまでという思いでやってきました。
病気して言語障害を直すために当時、だれもお金出してまで電話で説教は聞かなかったが、テレホン法話を日本で一番最初に始めたので、それを聞いた人が話し方の練習の為に、あちこち呼んでくださって、テレホン法話を聞いてある出版社の教育顧問になり、そのひとたちが始めたのが居合い斬りなんです。
プラス思考はいいことなんですね。
人の為にというのは一番嫌いな言葉で、偽となり、人の為に良い事をしたというのは偽善者と言います、自分の為に面白くなかったら人に強いてはならない。
「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」
自分が面白ければ他人も面白いだろう、という思いの発想ですね。
自分で好きにならなかったら、いい作品はできない。
蛙と牛の彫りもの お客さんが牛を撫でて、蛙を撫でると猛烈に儲かって帰る、蛙を撫でたあと牛を撫でると、お客さんが帰った後でお寺が儲かる、賽銭を入れず撫でると猛烈に早くひっくりかえる。
お金がなかったころは、細かいお金の代わりに貝殻の種類によってやり取りした、賽銭という。
お金に関する文字は貝が付く。
人間には煩悩は108つある、人間の悩み 四苦八苦 4×9 8×9で108になる。
50円玉の周りにはぎざぎざがあり120個ある、100円玉の周りには130個位あります。
永林寺に来た時には100円玉以上入れなさいと言っているが、みんな笑っています。
本はもらったものは読まないが、買ったものは読む。
昔は永林寺の鳶職と言われた。(飛び歩いた)
人が動くで働く 、儲けは金だけではなく、人の財産でもある、お金の財産は減るが、人間の財産は減らない。
私の和尚は 「和笑」と言っています。