清水マリ(声優) ・時代を創った声(1)
声優という呼び方が無かった時代からラジオ、TVで活躍した人々がたくさんいます。
「時代を創った声」は 昭和から平成にかけての時代の声を創ってきた方々にお話しをうかがって後世に残してゆこうというものです。
鉄腕アトムの声を演じ続けてきたのが清水マリさんです。
鉄腕アトムがTVで放送されたのが1963年、それから2003年までの40年間、清水さんはアトムを演じ続けてきました。
清水さんは今年で80歳を迎えます。
何故声優を目指したのか、声だけで演じる魅力、若い人たちに何を伝えてゆきたいのかを伺います。
ロボットの声をどういう風にしていいか判らなかったが、手塚先生が小学校5年生の男の子の気持ちでやってみてくださいといわれて、やり始めました。
先生に気に入っていただきほっとしました。
26歳の時でした、顔を出さない様に男の子なったつもりで影にいる、という様な感じでした。
子供達のアトムのイメージがこんな叔母さんかといわれない様にした方がいいと思っていました。
話が来た時にはマンガの鉄腕アトムは知りませんでした。(新劇を目指していた)
手塚先生に初めて会ったときには、にこにこして優しかったです。
TVのない時代で、NHKの放送劇団に入るか、映画、新劇の女優、3つの選択ぐらいしかなかった。
芝居の勉強をしたいと俳優座の養成所を目指したので、バレエ、日本舞踊など色々やって本等も色々読んでいました。
父は清水元という役者で父の影響で役者を目指しました。
子供のころからそういう環境にいたのでそちらの世界に憧れました。
中学1年の時に父がやっていた劇団で子供劇場をやろうという事で、ピノキオをさせてもらって、そこからはまってしまいました。
高校は演劇の盛んなところに入って、俳優座の養成所を受けたいと思ったが、父は止めさせたいようだった。
父に認められたのは鉄腕アトムをやってTVで見てからだと思います。
こんなに人気が出るとは思わなかった。
手塚先生に会いに行った時に父の劇団の人が隣にいたので、その方が手塚先生に紹介してくれたのだと思います。
手塚先生は男の子であって女の子であって金属的な音を探していたみたいで、丁度私が甲高い金属的な声だったと思います。
パイロット版に声を吹き込んだ時に「魂が入った」といって手塚先生は気にいってくださった。
その後オーディションがあって、手塚先生に推薦してもらって、やらせていただけるようになりました。
人間の心を持ったロボット。
ロボットというよりも正義を貫く少年という感じでやっていたのでそんなに難しいとは思わなかった。
アトムが自分の中に入ってきてしまった様な感じでした。
アトムをやり始めたときには結婚していたので、2年間は子供は作らないでくださいといわれていたが、子供が出来てお産をして、一時期替ってもらった時に声が違うと電話が沢山掛かってきて、早く復帰してほしいという事でなんとか復帰しました。
子供を抱えて舞台は無理だと思って、声優ならば時間の調整なども自由度があるので、舞台は辞めて声優に専念する事にしました。
子供が小さい頃は大変でした。(アトム以外は断る)
アトムが終わった後に、妖怪人間ベムの一人の声優をする事になる。
ベロ君はどうしたらいいか大変苦労をしました。(ついアトムが出てきてしまう)
宝島で少年の役もやりました。
2003年4月7日(アトムの誕生日)にアトムの役を降りることになる。
どうして声が変わるのかと苦情があったようですが。
2003年1月に友達とスウェーデンに旅行に行くが、夜中に一人で空を見ていたときに、物凄く綺麗なオーロラを見て、何故か涙が出てきて、もやもや(アトムの声優の交代に関しての事)がすっきりしました。
本を自費出版する。:「鉄腕アトムと共に生きて ― 声優が語るアニメの世界」
その後若い子たちの指導をしています。
私たちは罵倒されながら勉強したが、今はそうすると直ぐにいなくなってしまうので優しく丁寧にやらなければいけない。
いまの子は感性が育っていない。
日常の自然、自分で感じるアンテナの張り方が、芝居をやりたいと思っている割には、張れていない、喜怒哀楽が少ない。
声優はその人に絵がないと伝わらないことがいっぱいある。
一言一言に感情が入っているか、入っていないか、それが何を表しているのか、加味しないといけないので凄く難しい仕事だと思います。
声優を目指している若い子は純粋で一生懸命やっています。
役者は歳とともに変わるが、声優は声が変わらない限りは、いろんなことが出来てこれは声優の醍醐味です。