2016年1月12日火曜日

堤 剛(サントリーホール館長)    ・「響きのホール」と歩む

堤 剛(サントリーホール館長)    ・「響きのホール」と歩む
東京赤坂サントリーホールが開館30周年を迎えます。
サントリーホールは東京で初めてのコンサート専用ホールとして1986年に開館しました。
堤さんは77歳、2007年から館長を務めています。
ホールの設計段階から深く関わってきた堤さん、ホールができるまでを初め、ここから生み出された新しいサービス、これからのコンサートホールの在り方まで、堤さんがチェリストとして歩んだ道を交えながら伺います。

響きも世界一を目指したり、斬新なものを作っていこうというのが初代館長佐治敬三がめざしたものができあがって、アーチストから世界でも5指に入るぐらいのいいホールだといわれる位になった事は素晴らしい事で、責任も生まれてくると思います。
わたしの家内が佐治敬三の娘だったので、義父から色々聞かされていた。
佐治敬三は徹底的に調べつくして、自分が100%納得いった上で新しい分野、開拓する人でした。
ホールができ上る2年まえにヨーロッパに行き主だったホールを体験しました。
音楽ホールとして存在価値がどういったものか、実地に体験したいという思いが強くあった。
サントリーホールを東京で作るんだったら、ヴィンヤード型が良いとカラヤンから言われました。
お客さんが演奏者を取り囲む形になる、近く感じられるし、コミュニケーションが取り易い。(楕円形)
工夫に工夫を凝らしてヴィンヤード型が赤坂に出来ました。

カラヤン先生曰く、ヨーロッパの一流のホールにはパイプオルガンある、パイプがたくさんあることによって音響の補強になるという事も言ってくださって、億単位になるが、どういう風にいかしたらいいか判らなかったが、作ることになり、目玉になっていった。
ヨーロッパでは休憩時間が長い、皆さんドリンクコーナーに行ってワインとかシャンペン、ビール、コーヒー等を飲みながら談笑している、社交的な面があるのではないかという事で取り入れてみたらという事になった。
当時は偉い先生方から音楽を冒涜するものだとお叱りを受けたぐらいでした。
座席の案内、判らない人に対して案内、プログラムの配布、ちょっとした説明も出来る事を目指した。(男性は燕尾服)
欧米に比べて日本の入場券は高い。
1986年開館公演、NHK交響楽団 佐治がパイプオルガンの「ラ」を押してチューニングを行った。
ベートーベンの第9を行う、4楽章にコーラスが出てくるが、佐治は最初化学者になりたかったという経緯があり、化学的なマインドがあり、又ドイツ語も得意で、自分が合唱団の中に入ってドイツ語で歌いたいという事で、プロの先生に習って歌って満足したという事でした。

直接音、またいろんな残響が返ってきて、全体が響きになるが、ここが満たされた思いをするのは良く通ることもあるが、音の返り、返ってきた音の質の良さが新しい啓示、それまでになかった新しいものがあるからこそでインスピレーション、イマジネーションが大事になってくるが、それをホールが演奏家に与えてくれる、サントリーホールに来ると一歩上のものがここではできるように気がする、と皆さんおっしゃいます。
ホールが一緒になって鳴ってくれている、ホールが生きていると思います。
30年経って、ホールの特徴が出てくるし、木で出来ているので乾いて益々いいホールになってくると言われます。
素晴らしい音を出すことによってホールも嬉しがって、ハードな面ではあるが人間的な臭いのするホールだと思っています。

チェロは父の手ほどきを受ける。
父はNHK放送交響管弦楽団でコントラバスをやっていて、音楽教育の分野で楽器はぜんぶ弾けなければいけないという事で、父は器用にできた。
実は父はチェロをやりたかったようで、私は2年間バイオリンをやった後、最初父からチェロを習いました。
その後齋藤秀雄先生に習う様になりました。
バッハの全曲演奏会もやらせていただいていますが、ルーツは斎藤先生が小学校3年生の私に懇切丁寧にバッハを教えてくださったおかげです。
先生は私の不器用を見抜いていて、人と同じくらいに弾こうと思ったら人の3倍練習しないと駄目だよと言われて大ショックだった。
段々練習量は増えていったと思います。
アメリカに留学して、時間をたくさんやるのはそんなにいい事ではない、練習で大事なのは内容だと言います。
集中してやることが一番大事で、集中力を注ぐためには長くはできない、一番良くないのは考えもなしに同じことを何回もやることだと言われてちょっとほっとしましたが。

壁、難しい事に出っくわしたら、原因が判ればおのずから答えが出てくるので、がむしゃらにぶつかるのではなく、身を引いて色々考えて、余った時間を別の勉強して、広くやることによって違う面から壁に光をあててやる、という習慣ができてきたと思います。
プログラムの内容を見ると世界のどのホールと比較しても遜色ないと思うが、一般的に見て認知されていないと思う。
外国からもお客様が来て下さる様な、ホールにもっともっとしなければいけないと思います。
インターナショナルにはなれていないので、もっともっと情報発信を活発化させていきたい。