山澤 清(ハーブ研究所代表) ・伝統野菜を守る
山形県 1947年生まれ 最上川流域で野菜栽培をしています。
若いころは農業機械の技術指導者をしていましたが、地域の生態系が崩れているのを見て、自然と共栄する農業を志すことにしました。
現在私たちの食卓に上る野菜の多くはFIと呼ばれる一代限りの種の品種です。
F1は毎年新しく種を買わなくてはならないものの、生育が早く、多収穫、形の揃ったものが取れる為に高度成長期以降、市場の大勢を占めるようになってきました。
山澤さんはこれとは違って長い間地域に伝えられてきた、伝統野菜の栽培をしています。
毎年自分の畑で種をとり、農薬や化学肥料をつかわずに土づくりをする手間のかかる農業の実践です。
健康で栄養豊かな土からは故郷の昔ながらの味が育っています。
300坪のビニールハウス、種をまき花が咲いて実がなるまで、植物の一生を見せるところです。
アブラナ科で184 ナス科で65 菊科で25ぐらい 大根で60種類ぐらい。
伝承野菜として集めている。
きゅうりでも同じ形になるはずがない、便利さを求めてのF1になった。
地球上はすべて共生している。
農薬、化学肥料は使わず35年です。
嫌地 植物が嫌うが日本各地が嫌地になりつつある。
日本の季節は大陸と違って、春が来て、梅雨があり、夏があり、秋梅雨、秋が来て、冬が来る6つの季節がある。
日本はややこしいから、人間の英知があって、農業の歴史があったが、今は技術が凄くなって、その植物の季節をずらしても植えられるが、そうすると虫が付き、農薬をまかなければいけないし洗わなくてはいけない、50年ぐらいそうなってきた。
一年中野菜がある、季節感が無くなる。
F1は繋がらない、50年もこのようにしていると、自然界が何か起こすかもしれない。
伝統野菜は味がいいし、こえられない。
昔生野菜はあまり食わなかった、付け物にしたり、乳酸菌で別なものに加工して色々食べていた。
もともと自然界は様々な僅かに毒を持っていて、山菜等はあく抜きをする。
めんどくさいという形をうけいれれば、伝統野菜は味はいい。
キャベツなどは青虫は外側しか食わない、葉っぱの外側を食って葉脈は食わない、植物にダメージを与えず、食われることによって刺激で茎が太くなる様で、食われた方がいいみたい。
秋になると青虫はいなくなるので食われない、さなぎになり、蝶になって受粉してくれる、サイクルの中で植物は生きている。
外側の方が生物学的にはうまい、昆虫はうまいところを食べるが、硬いから人間は食べない、わがまま放題、人間は火を使ってうまくして食べる。
昔は春一番に食うのはあさつき。
生産性をあげようと農薬が必要だったが、田んぼの生態が変わってきた、どじよう、おたまじゃくし、めだかがいなくなり、子供時代のイメージが違ってきて赤とんぼもいなくなり、こうもりもいなくなって5年ぐらいして気づいて、結婚して子供がアトピーになり、別なものにペナルティーが来ると思って農薬を辞めた。(31歳の時)
しかし最初の頃殆ど出来なかったが、続けていたら植物から教えてもらった。
勝手な時期に植えていたが、大根はいつ撒いたら秋大根はいいのかとか、10何年掛かりました。
やり始めて30年になるが、500種類やっているが、同じアブラナ科でも交雑してしまって隔離して取らなければ行けなくて、1本から取ってもダメで10数本から取らないと次の世代につながらない、だから畑を20万平米作っている。
植物は65度以上で進化はしていない、ゆでることはあくを取ること。
辛い株でもぬかずけにすればからくないものができる、菌類、熱を使って人間は料理しているんだと思います。
農薬、化学肥料はいらないと思う。
取った分だけ少し返さないと、土壌が正常な微生物の体系にならない、化学肥料は微生物のえさにはならない、ゆっくりした時間10年後50年後、変わらない土壌を目指してやっている、そうすると連作障害は無い。
土壌が基本、野菜の葉っぱ、残さ等を入れ、みみず、モグラなどもいきている生態系、バランスだと思う、人間は効率化を求めてバランスを失っている。
植物も自分の空間を守りたい、密生すると自分も参ってしまう。
伝統野菜は適度な距離と適度の堆肥で、農薬はいらないし、蝶ちょも飛んで自然にいられる。
土が健全な、表面は好気性群、(酸素を使う生物)、下が嫌気性群(酸素はいらない生物)植物は嫌気性のところまで根が行くので、なるべく好気性群が20cm位まで行くように葉っぱなどを入れる。
葉っぱだけでなく、食用鳩を飼って(鶏はワクチンを打つ必要あり)糞を一緒に入れる。
最近は若い人が協賛してくれるようになった。
精進料理のレシピは昔でも、材料の野菜は今の野菜を使うので、野菜も昔のものをしたいという。
日本全国で種のネットワークを作りたい、800種類もあるものを残し続ければそうすると素晴らしい日本になると思う。
未来の赤ちゃん、人達にそういったものを食べさせたい。
からしなは交雑してしまったりして7年掛かった。
人間は苦難があった方が力はでると思う。
日本は湿気があるから赤ちゃんに汗もができるが、そのために白い粉を付けるが、白い粉は昔はからすうりを加工してでんぷんを取っていた。
今、数年後を目指してからすうりを何十万本もやっている。
かわしじみ 別名「かんしじみ」と言って冬に食べる、とってもうまい。
効率化を求めると何かを失う、生態系を戻してかわしじみも少しずつ増えてきている。
沢ガニもいなくなって何十年にもなるが、里山に杉を植えて、広葉樹が無くなりドングリが落ちなくて蟹がいなくなる。
蟹がいなくなるということは、そのうち海が変わると思う、先々が怖い。
川にいけばメダカが見られる生活空間があることが夢、小学校の頃の風景を形的に表すのが目的で、まだまだ入り口で全然達していない。
今、かやの実を植えていて、かやは何百年も生きるので、それの何百年後を思いやっています。
土に葉っぱを入れたりして自然界は与えることから始まる、人間は搾取から始まるからおかしくなる。
苦しいと悩みは別、肉体的に苦しいとか、仕事が大変だとか悩みではない、悩みは脳、心がよった時?(聞きとれず 病んだ?)だから、有るがままに生きれば問題は無い。
悩みは勝手に自分が優位な立場に立って見る、空想の世界だと思う。