2016年1月16日土曜日

臼井 真(音楽専科教諭)     ・「しあわせ運べるように」はこうして生まれた

臼井 真(神戸市立西灘小学校 音楽専科教諭)・「しあわせ運べるように」はこうして生まれた
21年前(平成 7年)1月17日阪神淡路大震災が発生 6400人越える人達が犠牲になり、建物の倒壊によって多くの人達が学校の教室や体育館等で長期間の避難生活を余儀なくされました。
愛する人たちを亡くした絶望と先の見えない避難生活、そんな中或る小学校のスピーカーから流れたこの歌が市内だけでなく広く被災地に広がり多くの人たちを勇気付けました。
その後新潟中越地震、東日本大震災の被災地でも歌われ、今では各国語に訳され世界の被災地で歌われています。
この歌を作ったのが臼井さん(55歳)現在神戸市立西灘小学校の音楽専科の教諭です。
この歌が産まれるまで、どのようなドラマがあったのか伺いました。

本当にあっという間だったと思いますが、去年成人式に参加して、時の流れを感じました。
当日は4時半ぐらいに起きて、朝食後2階に上がった直後に地震に遭いました。
1階は完全に潰されてしまいました。
叔母も1階にいたのですが、奇跡的に助かりました、わたしも1階にいたらと思うとぞっとしました。
情報が入ってこなくて、状況が掴めませんでした。
校長先生から電話があり、学校は2000人位が避難している事を知りました。
音楽なんて役に立たないと思う様な状況でした。
1月の末ぐらいに交代勤務で9時頃帰れた時に、ニュースで三ノ宮が映ってそれは自分の慣れ親しんでいた街ではないことがショックで、突然込みあげた思いを走り書きをして、その後作曲をしました。(10分ぐらいだったと思います)

「しあわせ運べるように」
「地震にも負けない強い心を持って 亡くなった方々の分も毎日を大切に生きてゆこう。
傷ついた神戸を元の姿にもどそう。 支え合う心と明日への希望を胸に
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに 届けたいわたしたちの歌
しあわせ運べるように  地震にも負けない 強い絆をつくり  亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に生きてゆこう。
傷ついた神戸を元の姿にもどそう。  やさしい春の光のような未来を夢み
響きわたれぼくたちの歌  生まれ変わる神戸のまちに 届けたいわたしたちの歌
しあわせ運べるように
響きわたれぼくたちの歌  生まれ変わる神戸のまちに 届けたいわたしたちの歌
しあわせ運べるように」

願いを書きました。
授業ができるようになったのが2月末なので、黒板に摸造紙を張って、こんな状態になってしまった神戸の街に曲を作ったので、みんなで歌ってほしいという話をして当時3年生だった子供が一番最初に歌いました。

ピアノに手を触れた時に、授業が出来たという事がこんなに幸せだという事に涙が出ました。
学校にもボランティアの方がいて、ボランティアの方に歌をプレゼントしようと歌いましたが、多くの方が涙を流して聞いて頂きました。
ラジオ体操の前に流したいという様な申し出もあり、徐々に避難者の方にも覚えて頂きました。
この歌を全校生徒と避難者を繋ぐ橋渡しにと言ってくださったときに、沢山の方の強い拍手が起こりました。
何もできないと思っていた時に拍手がおこった時に感動して涙が出ました。
「心のハーモニー」というキャンプファイアーの歌を作ったのが最初でした。(先生になった翌年)
高校生のころはシンガーソングライターになりたいと思ったりしました。
「大和撫子」という歌を作って、ポピュラーソングコンテストに出てましたが、曲はいまいちだと言われました。(そのときの優勝者が中島みゆきの「時代」でした。)

よそ見をしている子に対して、注意するときに歌で注意したりします。
100曲ぐらいあります。
怒鳴るよりも効果があります。
入学してくる1年生に対してとか、卒業式とかいろんな場面ごとの曲を350曲ぐらい作りました。
卒業生が先生の作った歌は絶対忘れませんという様な手紙を貰いました。
子供たちが「ふるさと」を歌った歌を聞いて調理師さんたちが涙を流してくれたりして、それが子供達の表現力が増したり、子供たち自身も感動したりします。
「しあわせ運べるように」は神戸復興のシンボル曲になってゆく。
新潟中越地震、東日本大震災の被災地でも歌われるようになってゆく。
福島県の杉田小学校が「しあわせ運べるように」を歌ってくれていて、私が行かせていただいて、逆に杉田小学校の生徒が来てくれて一緒に歌ったりとかの交流をさせていただいています。
浪江町の被災地の避難所にこちらの生徒が伺って歌ったりもしています。

海外でも10カ国に翻訳して歌ってもらっています。
自然災害はどこでも起こり、どこであろうと神戸のところを被災地の名前に変えれば、被災地の思いは全く同じだと知りました。
NHK取材でイランで歌っている光景を見て、イラン語で初めて聞いて感動しました。
歌のCD、本の印税を全額東日本大震災で被災した子供達のための支援に使います。
あえて著作権を取らなかった。
自分が言葉で語るよりも、歌自体が語り部になって沢山の人の心に届いているのがたいへんうれしいです。
子供が歌っていて涙を流しながら歌っている子もいます。
ボランティアの方が涙を溜めて手を握ってくれて、「このに世に音楽の神がいるとしたらきっとこの歌はそばにいて聞いていてくださっていますよ」と言ってくれた。
20年以上たって歌の広がりをみるとまさに音楽の神様がそばで何か力を与えてくれたのかなという感覚を持っています。
人の役に立つ事が出来たなと思っています。
全国に知られていないこともあるのでこの歌を知っていただく事、多くの出会いについていろんなところで話が出来たらいいなと思っています。