小堀鴎一郎(往診医) ・「心に響く医の道」を求めて
1938年東京生まれ 父親は画家の小堀四朗、母親は小堀杏奴 (森鴎外の次女)
1965年東京大学医学部を卒業した後、東大付属病院第一外科と国立国際医療研究センターの外科で40年間上部消化管の診療と研究に従事されました。
定年退職後、埼玉県新座市の掘ノ内病院に赴任して、以後10年間往診医として訪問医療に携わってきました。
現在までにおよそ500人の訪問診療を行い、半数の方の臨終にかかわっているという事です。
往診医としての10年は貴重な年月で有り、この10年がなかったら自分の医師人生は完結できなかっただろうと言います。
在宅医療の世界は死と隣り合わせの面が強く綺麗事ではないネガティブな側面が付きまとうと言います。
週4回訪問診療していますが、私が持っている患者さんは40名です。
私は自分で運転して自分の車で行っています。
専門的医療、高度な医療を要する場合は病院に行っていただくが、私は病院と同じ医療を在宅でも出来る、それを目指しています。
往診医若林ドクター 大学の外科の1年先輩 可なり立ち入ったきめ細かい治療をしています。
成城学園の教育 小学校には教壇も試験も無く、通信簿も無く、宿題もない、そういう状態だった。
好きなことをやっていて良いという雰囲気で、私は俳句を作って後は遊んでいました。
母が私と2歳上の姉とを連れて、学校を休んでフランス映画を見に行ったりしました。
中学3年の時に、塚原君から成城池に呼び出されて、将来君はどうするんだと言われて、彼の両親は医者なので自分は医者になると言って、医者ほど世の中で素晴らしい職業は無いといわれて私もその道に進むことにした。
彼は早く亡くなり医者に成れずに終わってしまった。
その後都立戸山高校に進む。
東京大学理科2類に進学、医師の道を選ぶ。(400人のうち40名が医学部に行く)
25名が外科に行きました、専門は腹部外科(消化器)
2年目から初期手術をするが。手術する前に消毒をするが、そんなことから厳しくしごかれました。
糸を的確に結ぶ事等毎晩練習をしていました。(手袋をしたり、石鹸を塗ったりして難しい条件で)
当時の勤務医 結果がすべての短期決戦の連続みたいなもので成り立っているので、一人の患者さんとの話は表面的になる。
現象的、手術そのものに癖(へき)がありました、患者さんが先生は本当に手術だけなんですねと言われたことが印象に残っています。
65歳で定年退職後、埼玉県新座市の掘ノ内病院に勤務する事になる。
掘ノ内病院に行ったのは手術を続けたかったが、3年手術をしたがいよいよそのうちに出来なくなって、個人的に往診している寝たきりの患者が2人いるので替って診てほしいと言われて、(2005年2月)違うジャンルがあることに気付かされた。
訪問診療をすることでありとあらゆる経験をしました。
東大付属病院、国立国際医療研究センター等の患者さんと話をしても患者さんのスタンスが違う、国を背にしてふんぞり返るという様な印象を持つと思うが、堀ノ内病院では、死を間近になってきた場合は猜疑心、不信感、失望、落胆とかネガティブな意味での人との接触なので、本当の人間的な付き合いと言える。
極端にいえば、権威を背にしている限り患者さんは本当のことは言わない。
ポジティブな面もたくさんあります。
この10年がなかったら、外科医としての生涯が全うしたと言えるかもしれないが、一人の医者として生涯を完結したとは言えないと思う。
掘ノ内病院では10年間で、75%が在宅死となっているが、全国レベルでは97%から100%在宅死があるという診療所が日本には有る、どういうからくりでそうなるのか理解できないが。
日本の全国統計は在宅死は12%、著名人の在宅死は1%という数字になっている。
やり始めて3年後は50%でしたが、いろいろ在宅死、自然死とかを話しているうちに75%になりましたが、長い時間も必要です。
私の関わっている患者さんとの触れあった期間は平均4年6カ月です、その間話しあう時間がある訳です、その先に看取りがあります。
98歳の女性、或る日ベッドに上がれなくなった。
介護用のベッドにする等介護的なことをやっていたが、2週間したら食事をしなくなって、ペットボトルに清涼飲料を飲んで、2日たってこれが最後だと思って、延命する必要がないのではないかと家族と話し合って、息を吐くときにかすかに音がして、聞いた家族がかわいそうだという事で入院していただいた。
若いドクターが高カロリー胃液とか、肺炎併発した時は家族の要望に応じて処置をした結果、10ケ月間病棟で生きておられて、家族は段々足が遠のいてゆき、9カ月間ぐらいは一人暗い病棟で合併症を抱えて、最後は夜勤のナースがモニターを見て平坦になっていて亡くなられた。
これこそ孤独死だと思った。
どんな形でもいいから生きていてほしいという人がいるが、4年6か月の患者さんとの付き合うなかで75%の方が家で看取りますということになる。
2025年には65歳以上の高齢者が3658万人になります、人口の3人に1人です。
昨年9月 3384万人 26.7% 4人に1人です。
問題は65歳以上の高齢者の4~5人に1人は要介護になる。
介護の手がないと生活ができない。
介護スタッフは中心的な役割をするケアマネージャーが現在14万人、2025年には24万人必要になる、ヘルパーは100万人必要となる。
介護施設、介護する人たちが足りなくなる、これは地震と違って確実に起こることです。
国の施策、患者家族の考え、医療従事者の考え、など色々あるが、1年間に亡くなる方は124万人と言われているが、160~170万人になり、それを「多死時代」と言っているが、それに対応したヘルパー、介護施設を期待するが、期待できないからと言って国を非難するのは間違っている様に思う。
社会と医療サイドが価値観を変えなければ満足なケアができないと私は思います。
2025年には団塊の世代が後期高齢者になり介護が必要になる。
地域で何とかやろうと施策を打ち出しているが、全てをカバーするとはとても思えない。
10年現場で学んだ事は3点あります。
①社会の患者側にとって、身内の在宅死は最初から想定外。(病院で死ぬのが当たり前)
②医療側は在宅医療には関心が無く、理解が乏しい。(国家試験にそのようなことが出ない
在宅医療、介護に関する項目の出題率は0.67% 平成25年度医師国家試験)
③患者自身が死ぬと思っていない。
ヒポクラテスの誓い(自らに課した戒め 9つ)
紀元前450年前に生まれたギリシャで生まれた人物。
医学、医療の定義
①病者の苦痛を完全に取り除く。
②病気の暴力を減少させる。
③重病に依って打ち負かされている場合は、私は医療の無力さを知っているがゆえに何もしない。
重病、現代で言うと、老衰と悪性腫瘍の末期。
現代医療、現代医学を別の観点から考えなおすひとつのきっかけになる言葉だと思います。