2015年12月31日木曜日

畠山健二(作家)         ・江戸下町の笑いと人情

畠山健二(作家)            ・江戸下町の笑いと人情
1957年昭和32年東京生まれ 子供のころから漫才や落語が大好きで将来、お笑いの世界に進みたいと考えてました。
家業の町工場の経理を担当しながらも、頭から離れなかったのは漫才や落語のことでした。
或るときお酒の席で知り合った漫才師と話が弾み、漫才の台本を書く事になります。
それがきっかけで畠山さん作、演出の漫才が第3回NHK漫才コンクール最優秀作品に選ばれたのです。
2012年には「スプラッシュマンション」で小説家としてデビューします。
コラムニストとして下町の掟や落語歳時記など新聞や雑誌にも、連載コラムを書いています。
現在は江戸下町を舞台に「本所おけら長屋シリーズ」で心の豊かさをテーマに江戸下町の笑いと人情を書いています。
下町には笑いと人情がある、このよき伝統を残したい、作品の素材は自分の体験からという畠山
さんに伺いました。

自分の名前を書いた袢纏を着て出かける事もあります。
昔ラジオをやっていた時もあり、リスナーから声が良いと言われてました。
小説家としてデビューしたのは50歳を過ぎてからで、その前は演芸、(漫才、コント、新作落語)の台本を書く仕事をしていました。
子供のころから演芸番組などが好きだった。
昭和 60年飲み屋に行ったらマスターがいて、以前ちょっと売れた漫才師だった。
漫才ブームだったが、関西の漫才だった。
東京の漫才に憤慨したが、ネタが悪い、俺が書いた方がもうちょっとまともな台本が書けると言ったら、書いてみろと言われて、当時売れていない漫才師を紹介してもらい、台本書いて演出もさせてもらって、半年たって、NHK漫才コンクールの予選に出てもらい、本選にも出て、最優秀賞を取ってしまった。
この台本はだれが書いたんだという事になり、NHKから仕事を貰う事になったり、芸人さんから台本を書いてほしいという事になり、知らないうちにお笑い作家になってしまった。

チャンスを如何に活かせるかということは大きかったと思う。
2012年には「スプラッシュマンション」で小説家としてデビューします。
スプラッシュ=水、泥を撥ねる  マンションは長屋でもある。
人間関係も希薄になってきて、昔の長屋とマンションがどう存在していけばいいのかが、ひとつのテーマになっています。
「本所おけら長屋シリーズ」も5卷になっている。
お笑いの台本を書いていた、落語に精通していた、下町に暮らしていたので、落語と人情を巧く小説と融合できないかと思った。
現代では難しいと思って江戸時代の設定で、人情、笑いに入り込みやすいと思ったら、意外と好評で5卷まで来ました。
山本周五郎さんの雰囲気があるなあと、言われます。

私の場合は長屋に特化しています。
落語というのを可なりモチーフにしている。
落語は駄目な人を排除しない、否定しない。
「本所おけら長屋シリーズ」もそういう人たちがたくさん出て来るが、人間って、皆がそういう面を心の中に持っている。
長屋の人達が持っている雰囲気というものを現代の人が読んでも、安心できたりするのかなあと思います。
落語が持っている力だと思います。
長屋の人達がそれぞれみんなが役に立つポジションをなんか持っている。
10歳から40年は本所で暮らしてきて、本所にはこだわりがあります。
関東大震災、戦争の時の空襲で可なり破壊されて、昔から江戸に住んでいた人が住んでいるというのは、この二つの出来事によって意外となくなってしまって、江戸時代に出てくるべらんめえ言葉は子供のころから聞いてはいないし、そういう文化が無くなってしまったのは残念です。

受け継がれてきた伝統、日本の素晴らしいところは四季があること、行事のほとんどは季節をイメージさせる。
それに見合う恰好をしたがる。
江戸っ子の人間が一番人様に言われて喜ぶ言葉は「粋だね」と言われる言葉、「野暮」ということは江戸っ子にとっては万死に値する言葉なんです。
粋 は垢ぬけていてちょっとした遊びに精通している人。
ほうずき市に行くときに浴衣の着こなし、柄、帯も合っていて、歩いていると、近所のおばさんに「ちょいと粋だね」と言われるのが下町の人が一番喜ぶ言葉なんです。
浴衣を着なれていない人が着ると、なんかおかしい、粋な人には見えない。

「かたや」 という遊び、鋳物の型が付いているものに粘土を押しこんで、粘土をはがして型を取ったら金粉を塗っていくというのがあって、でき上ったものをおじさんが点数を付けてくれる。
100点溜まると、大きな型を貰える、それがほしいのでそこに通って、一生懸命に頑張る。
80~90点溜まってくるとそのおじさんが忽然と姿を消す。
又半年すると別のおじさんが来て、そんなの前の人だから知らないと言われて、下町の子供はそういう事で世の中の仕組みを知ってゆく。
下町で身上(しんしょう)を潰したというおじさんが近所で登場すると、株で失敗して身上(しんしょう)を潰したというのは粋でも何でもないが、向島の料亭に通いつめてかっぽれ道場に通って一財産無くすというと、みんな粋だねと言う事になる。
芸者さんに三味線を弾いてもらって、かっぽれを踊るとか、都々逸をその場で作って歌う。
落語 登場人物で粋な都々逸を言う場面があるが、「餓鬼のころから いろはをならい  はの字忘れて 色ばかり」とか 
下町の人は粋な遊びをしたいというのはある。

子供のころから粋な職業に就きたかった。(鳶の頭、芸人、太鼓持ちなど)
落語が好きだったので、三遊亭竜楽(先代の圓楽の弟子)師匠に習って「がまのあぶら」をやった時の緊張感はもの凄かった。(あまり緊張するタイプではなかったが)
もう二度とやらなかった。
「本所おけら長屋シリーズ」は古典落語が物凄く役立ちました。
日常の生活の中で起こる様々なことをどうやって解決していくかがテーマなので、落語をモチーフにしたものが物凄く多い。
「男はつらいよ」は落語をモチーフにしていると思う。
落語のテーマは人間が普通に生活してゆく、仕事、酒、ばくち、親子、夫婦等がベースになっているのでそれを聞いて判らない人はいないと思う。
聞いている人がそれぞれにその場面等を想像してその話をそれぞれに聞いてゆく。

「本所おけら長屋シリーズ」 1冊の本を寄席だという風に設定している、最後は大ネタにしている。
わたしの武器は笑いである、時代小説は色々あるが、ここまで笑いに拘った小説は無いと思う。
笑いは泣かすのにも効果的です。
漫才を書いていたこともあり、この本は人と人との会話が多い、その方が人情感があると思う。
裏テーマとしては心の豊かさとは何か、というのを、正直にいって答えられないが、読んだ方がこういう事が心の豊かさなのかなと、その人なりに判ってくれればいいかなと、思います。
良い事ばかりでなく、むしろ悪いことも日常生活では多いかもしれないが、ちゃんと笑ってちゃんと泣いて、良い朝を迎えられれば、本当の心の豊かさなのかなあと思います。
この本は人間讃歌ですねと、手紙をいただきましたが、本当に嬉しかったです、涙が出ました。