2015年12月27日日曜日

篠崎永育(バイオリン教室主宰)  ・バイオリンの楽しさを子どもたちに

篠崎永育(バイオリン教室主宰)  ・バイオリンの楽しさを子どもたちに
来年バイオリン教育60周年を迎えます。
8歳の時に父親からバイオリンの手ほどきを受けて、その後長野県松本市のバイオリンの才能教育で有名な鈴木鎮一さんに師事しました。
楽器を通じて人の精神を豊にするという教育方針に共鳴した篠崎さんは、松本の地で9年間バイオリン教育を学び、その後北九州市に戻ってバイオリン教室を立ち上げました。
教育のモットーは子供達の自主性を延ばすこと、これまでの教え子は1000人にも及び、自分の息子にも自由にヨーロッパで音楽の勉強をするように指導してきました。
その息子さんというのが篠崎史紀さん、現在NHK交響楽団の第一コンサートマスターを務めています。

79歳、現役のバイオリンの先生です。
6歳の子供を相手にする時には私は6歳になっています。
引っ込み思案の子もいるので、笑顔で接しています。
「あいうえお」 明るく生きいきと 嬉しく笑顔で思いやりを お母さんもよろしくねとお母さんにも言っています。
その子の目線になって話等で接します。
命令するのではなく「・・・しましょう」と言います。
小さいころからハーモニカを吹いていました。(父はハーモニカの日本一になりました)
父は趣味でバイオリンをやっていて、それが良くて私は転向しました。
最初父から習って、その後海軍音楽隊の隊長をしていた人がバイオリンが出来て、その先生に教わりました。

松本に夏季学校があって行って、鈴木先生にあって指導法、教育の「育」(育てる)を重視する事に感激しました。
松本の鈴木先生の門を叩く事になりました。
先生が病気になって無料奉仕だが代理を求めていて、19歳だったが、代理をすることに手を上げました。
松本で妻との出会いもありました。
アマチュアの北九州交響楽団があり、そこでTNC(西日本TV)で聞かせてもらって、近衛秀麿さんが何でもいいからこいと言われて、 それからTNCの偉い人に掛けあってくれて、コンサートマスターにという事で、収入も得られることになった。
出張レッスン見たいな事をしていた。

北九州交響楽団のコンサートマスターをしながら、1964年にバイオリン教室も開いていた。
長男 篠崎史紀 毎日レコードをかけて聞いて遊びながらやっていました。
ベビーベッドの中にバイオリンが入っていて、それを叩いたりしていました。(環境作り)
中学になった時は自活できるような環境を作っていました。
高校生になった時には100万円を渡して遊んで来いと言って、ザルツブルクの夏季講習に行ってきた様です。(収入もよかったわけではない。)
なんか得てくると思った。(自分が若いころにできなかった事をさせた方がいいと思った)
音楽大学に行かせたわけではない。
私は実力があれば学歴などは気にしない。
「・・・してやったから、それなのに貴方は・・・してくれなかった」と良く愚痴をこぼす親がいるが、それは無いです。
お互いに自立した関係、親子喧嘩はしたことは無いです。

N響は3~5人、九州交響楽団は7人、スイス・ロマンド管弦楽団には大野君、南紫音ちゃんは1歳から来ていました。
去年バイオリン教室50周年でいろいろイベントをやりました。
来年バイオリン教育を初めて60周年になります。
今の子は環境が良くなってるので(レコード、CD、生の演奏など)、幸せだと思います。
楽器もよくなっている。
幼児教育が専門なので或る程度のレベルまで教えることができるが、後は本人次第で良い先生も紹介できる。
音楽が好きになってくれればいい、プロにならなくてもいいし、本当に音楽を通していろんな友達ができて、楽しめればいいと思います。
謡曲もやるし三味線も弾きますし(名取りも取っている)、ハーモニカもやっています。