2015年12月20日日曜日

山口和浩(大村椿の森学園園長)  ・児童虐待「信じる心」を取り戻す

山口和浩(大村椿の森学園園長)  ・児童虐待「信じる心」を取り戻す
全国の児童相談所が対応した児童虐待の件数は昨年度過去最多となりました。
その数はおよそ8万9000件になります。
虐待を受けたうち特に深い心の傷を受けた子供達を受け入れているのが情緒障害児短期治療施設です。
山口さんが勤めている大村椿の森学園もその一つです。
長崎県大村市にある大村椿の森学園は平成15年に設立されました。
山口さんは設立当初から、生活指導員として子供達と向き合い、去年1月33歳で園長に就任しました。
虐待を受けた子供たちが再び立ち直るために寄り添い続ける山口さんに伺いました。

児童福祉施設の一つになります。
心理的な困難、日常生活の困難、多岐に渡る問題を抱えている子供が入所、通所して心理治療、医療ケア、教育機関と連携して総合的に子供達に支援してゆく施設になります。
複数の心理士が子供達の今の状態、子供達の課題を精査して、治療的なプログラムを考えてゆきます。
医者も勤務しています。
入所している子供達は35名前後、年齢は小学生から高校卒業した20歳まで。
感情のコントロールができない子が多い、暴力的な行動を起こしてしまう様な子供たちもいます。
両親や兄弟と生活していた子、父親から母親に頻繁にDVが行われていた家庭で、暴力に耐えきれず母親は下の兄弟を連れて家を出てしまい、父親はギャンブル、酒などを繰り返し、経済的な問題も起こり、債権者が押し寄せたりしました。
小学校6年生の男の子に対して、罵倒、暴力をする。
父親は暴力事件を起こして、結果、本人が一人になって、子が椿の森学園に入所してきました。
凄く挑発的な部分が多くて、大人は全て敵だという様な言動が繰り返されました。
女性職員に対してが印象的だった、声を掛けても「くそばばあ」と言う様な言動をしました。
母親への怒りが何か女性職員に重なるのかなあと思ったりしました。

椿の森学園では子供が挑発的であっても、殴られても、職員は殴り返すことはしないということは徹底をしてきました。
これまでとは違う大人をしっかり見せてゆくという事が非常に大きかったと思います。
心理士が配置され、時間を掛けながら関係を築き、少しづつ家族の事を話し始める。
落ちついてきて他の場所でも或る程度の生活は送れるだろうとなった時に学園を退所してゆき、高校を進学、卒業して、社会人として働き、その後結婚して子供ができたとの報告がありました。
妻とけんかして、パニックになったこともあり、行動に出そうになったことがあり、時折自信が無くなることがあると連絡してきて、思いをきちんと言葉にできる場所になっていたという事が椿の森の治療生活に意味があったと思います。

両親がいて、父親は地元の企業で働いていて、母親は専業主婦、兄弟の一番上で、本人が小学校3年生の頃、母親が精神疾患を疑う様な症状が出始め、父親は無関心だった。
母親は不安定で、Cさん(娘)の前で手首を切るという様な自傷行為をおこなって、Cさんと一緒に死のうという様な事もあったそうです。
学園に来ることの相談がされたが、今家を離れた時に、母親がどうなるのか不安で、離れたい気持ちと離れられない気持ちがあり揺れ動きながら悩みぬいて施設にやってきました。
昼夜関係なく無断外出して、家に帰ると言ったり、自分等いなければよかったと言って、リストカットを繰り返したりしました。(入所して数年間)
自分自身の存在が大事にされてこなかったからこそ生きている意味、自分を認める力が弱くなってしまう部分があるのかなあと思います。
何度も死のうとした母親の姿を見続けた苦しさから、解放されたいという気持ちもあったのかなあと思います。

母親への心配については十分認めて、何度リストカット、無断外出をしても、貴方の課題をクリアするために一緒にやっていきたいと、こちらの変わらない思いを伝えてきました。
手首を切ることに対しては、命を大切にするという道徳的な事のほかに、淡々と傷の処理をすると同時に、何故切りたくなったのか、本人が言葉に出来るところは一つ一つ言葉にし、言葉にできたこと事態に意味があるんだよと繰り返し続けていったという事があります。
問題行動を繰り返したとしても、変わらずに関わってくれる職員の姿を繰り返し見せてゆく、一緒になってささえてゆく事によって、誰も信用できないという思いが、少しずつ緩和されていったと思います。
Cさんが学んだこと、得た力は多かったと思います。
戻ってから早い段階から不安等を相談してくれるようになりました。
地域の保健士、民生委員にたいしての相談も出来るようになって、手助けをしてくれる人がいるんだということを体験できたことは、非常に大きかったと思います。
Cさんは看護士になりたいと言って学校に行っています。

人への信頼感が非常に乏しい子供たちが多いと思います。
不安定な家庭の中で生活していた子供たちにとって、本来信じられるはずの身近な親から十分に愛情を注がれていない、十分にかかわって貰えなかった、大人への信頼感、人への信頼感が非常に乏しい、感情のコントロールがうまくできない、という特徴が多く見られます。
怒りの矛先と同時に誰よりも親に会いたいという心の葛藤があり、嬉しい半面どう言葉をかけていいのかわからない、子供もそうだし、親もそうだと思うので、憎しみと愛情とが入り混じる様な気持ちで、面会が近づくと子供自身が不安定になってきたりすることもあるのかなあと思います。

私は中学校2年生のころに父親が自殺で亡くなったという経験がありますので、学生時代から親を亡くし支援を考えける中で、支援が必要だという人たちに対してのサポートをしてみたいと思う様になりました。
椿の森学園が開所した平成15年、虐待の件数は増え始めていたが社会全体ではまだ話題にされることは少なかったと思います。
まだ目が向いていないところに対して、自分でもできることがあるのではないかと思いました。
何を信じていいのかわからなくなる部分があると思う、本来自分を愛してほしいと思う大人から暴力、無視されたり、突然目の前からいなくなる、今のこの苦しみがずーっと続くのではないかという不安感があるのではないかと思い、そういった不安感は共通している部分ではないかと思います。
出会える子供達は限られていて、目の前で出会っている子供に対して少しでも子供たちが社会の中で生きていく上での力が、すこしでも付けられればと思うし、子供自身が抱えている重い荷物を少しでもサポート出来れば良いなあと思いながら、子供達に対しての責任が非常に大きいと思います。

生きていくのも捨てたもんじゃないと思える様な姿をきちんと見せて行きたいと、日々思っています。
施設を出て行って報告をしてくれる子供達を見た時に、この施設の中で子供達をささえてゆく意味を感じさせる部分があると思います。
辞めたいとか心が萎えてしまった時期は、何度もありました。
無力感を感じさせる場面は何度も何度もあります。
最後までキチンとサポートできた対象まで行った姿を思い出しながら、今ここでささえることが次につながると言う事を、言い聞かせながらやっている部分が大きいかなと思います。
無力感 「大人は判らないよ」という言葉であったり、関わり続けながらも変えることの出来ない部分 リストカットを何度も繰り返すことに対して、短いスパンで見ると又かという様な、自分たちがやっている事に意味があるのかと思ったり、親への怒りだと思いながら繰り返し殴られたりすると、考えてしまうことはあったと思います。

現在34歳で園長をしています。
この子を任せていいのかと、保護者からの不安があるかとは思いますが、意識してやっているのは信頼関係、いい意味での信頼関係を築けるように積み重ねてやっています。
いろんなことを教えてくれるのは子供達かなあと思っています。
児童虐待が過去最高になる、しつけ、見えなかった部分が法律ができて虐待ではないかと通報が増えたのが一点あると思いますが、DVの目撃がキチンと拾われるようになり子供の部分まで見えてきて拾い上げられるようになった。
親戚、地域の関係が希薄になり、家族の中だけで背負わなければならなくなった苦しさもあると思います。
経済的にも厳しい部分もある、母子家庭になると母親は仕事に時間を費やしてしまって、子供と向き合える時間が無くなってきてしまう一面があり、又経済的な部分もあると思います。
虐待の連鎖、子供たちをもっとサポートして連鎖をさせない取り組みが社会として必要だと思います。

自分自身が夢を持てることが一つあるかと思います。
生きていきたいと思える部分をどう持てるようにするか、自分が大切にされたという感覚、実感
が非常に重要だと思います、その経験がそれが人への信頼感につながってゆくと思います。
自分が誰かに大切にされているという部分、自己肯定感をどれほど持てるかというところかと思います。
大人は粘り強く子供達と関わり続けることかなあと思います。