中邑賢龍(東京大学教授・東大異才発掘プロジェクトROCKETディレクター)
・「突出した才能」を伸ばせ(1)
去年12月東京大学先端科学技術研究センターと日本財団が共同で、異才発掘プロジェクトROCKETを立ち上げました。
対象となるのは様々な突出した能力、異才を持ちながらもコミュニケーションが苦手、授業内容が物足りない、等の理由で学校教育の現場なになじめない子供達です。
不登校に陥りがちな子供たちの学習支援を継続的に行い、将来の日本でイノベーション、革新をもたらす可能性のある人材の才能の芽をつぶさないようにしようというのが目的です。
プロジェクトを束ねるディレクターを務めるのが、中邑さんです。
一日目はバリアーフリーに関する事。
専門は心理学です。
この社会をバリアフリーにするにはどうすればいいか考えています。
工学、医学などが一緒に集まって研究しています。
課題解決型の研究を自由にチームを組んで進めていけるのが先端系の研究の特徴です。
段差をなくせばいいというわけではなく、違った視点の研究者が集まって、多様な視点で研究をおこなうことが重要です。
最初身体障害から入って行って、物理的バリアーだけではなく、鬱病になってゆくとか追い詰められてゆく現状は、何か目に見えないバリアーがある、この社会に共通するバリアーをどう取り除くか、を研究しています。
人々の変わらない考え、硬直化した態度、それが一番社会の変化に人が付いていけないところから生まれるバリアーを感じています。
無断欠勤して首になったりする。(熱が出てしまったが、電話が苦手で出来ないことが原因)
メールは認められないが、メールでもいいという事になればこの人は首にならずに済んだはず。
テクノロジーが大きく変わってきているが、そこに人の意識がついていかない、教育者もそこに乗り切れていなく、教育現場そこが一番保守的になっている。
履歴書について手書きを要望する。(手書きが苦手な人が多くいる)
解放的に成れと言っても苦手な人がいる。
標準的な姿に近づけようとすることによって、その人たちを追い詰めている事にほとんど気づいていなくて、標準的な事に戻ることが素晴らしいという幻想が福祉、教育の中にはびこっている、これを叩き壊すのがわたしの仕事です。
昔実験心理学をやっていて、機械を使って人間の感覚器の測定をする、今から30年前、IC、トランジスターを買ってきて回路を組んで実験をやっていました。
精神医学の研究をやっていた教授から、山の施設に連れて行かれて、或る青年の前に連れて行かれて、この青年をしゃべれるようにしなさいと言われる。(「あっ」 とか 「うっ」としか言わない。)
理解は良くできているが言いたいことが言えない青年で、薬では良くならなくて、お前はコンピューターを使えるから何でもできるだろうと言われて始めた。
野球ゲームを作ろうとした、ボールがTV画面を流れ出てきて、良いタイミングで「あっ」と声を出すとバットが振れてホームランになったりアウトになったりする。
なかなか辞めないので、聞いてみたら「これを使えば対等だ」という。
「あっ」というだけなので、私達とおなじレベルで勝負が出来るから楽しいという。
スタートラインが違うのに、人間みんなおんなじだと思ってしまう。
人の話を聞いてあげることは大事だが直ぐできる事、というと物とお金で解決しようという道に入って行った。
大変な事をするからストレスがかかって病気になる、頑張らなくていい様にするために、補助するものを旨く活用してそろえる。
社会の変化に依って、人間同じように見えるがスタートラインが違って来ている。
かつて物を覚えたりしゃべったりするのは苦手でも、力があり一緒に魚を捕ったり野菜を作ったりすることができたが、今は一次産業が5%ぐらいで一緒にやろうと声を掛けてくれる人がいない。
今は第三次産業が7割、コミュニケーションが求められる。
かつては特性の違いを意識しなくてもよかったが、今は生まれた特性を意識しないといけない社会に変化してしまったが、それに誰も気づいていない。
お前が努力しないといけないと、過度に特性を求められるのでこれはつらいと思う。
8割ぐらいはその中で何とかやっていけるが、後の2割が消えてゆく。
引きこもり、非行、犯罪に走っているかもしれないが、親のしつけ 個人とかに責任が行ってしまうが、絶対にそうではない。
お前変わっているなと言われて育ったら、ぐれているかもしれないし非行を犯したかもしれない。
高度成長期に協調性のある人が求められたが、そうではない部分もこれからはどうにかしていかなければならない。
ロボットにお金を使って、ロボットを作って生産性を上げることに、どういう意味があるのかという事を考えないといけない。
機能、機能で目的を達すればいいという、物を楽しむという様な生き方を教えていない社会で、人が作りだすものを大事にする人はいない、こういうところを変えていかなければいけない。
緩やかな社会を作らないと皆が息が詰まってしまう。
ちゃんとやることを求めた結果不登校の増加にも繋がってゆく。
どうやって不登校の子供を学校に帰すかという議論ばっかりで、帰さなくて良いのではというと義務教育だからという。
絵を描くにしてもじっくりやっていると、早くしなさいとせかせるが、その時間が大事なんだという事が認められない。(何もやらないことが悪いことだと思われてしまう)
急いで一緒にという事を取り除いてあげないといけない子供たちが一定数いる。
暴走族の子供の家庭教師になったことがあるが、1年近くは一緒に合わせて遊んでいたら、或るとき「先生そろそろ勉強した方がいいんじゃないか」といった、その気持ちになるというのは凄く時間が掛かるわけです。
不良少年とも付き合ったが、ペースは大事だと思った。
見方を変えれば旨く社会に中に溶け込んでいける。
諦めることも凄い大事、ポジティブに諦める。(諦めることは悪い事ではない)
好きなことをやっているときには知らぬ間に時間が過ぎていて、意識的には頑張っていない。
過度にストレスがかかっている事は、断ったり諦めたりしないさいと言っている。
社会通念のバリアーを如何に崩してゆくか。
違う仕事をやっていたら、違う仕事同士がいい影響をし合う。
社会保障が厳しいものになっていて、派遣社員だと厳しいので何とかして会社に入らないといけないと思っているが、10年、20年先に会社が存続しているか判らない、組織が流動化してゆく時代に備えるのは或る意味重要で、今この社会から布石を起こしている人が今度社会の中でメジャーになるという、人間らしく生きられる社会システムを考えてゆこうと思っている。
プロジェクト、研究室に障害がある人達がその人にあった仕事としてたくさんバイトに来ています。
社会は或る程度無駄が必要だと思うが、学校で先生は子供に無駄をする時間が無くなっている。
子供に有給休暇の様な休みがあってもいいのではないかと私は思っている。
子供の頃から休み方を教えないといけない、親も休み方を知らない、だからストレスに倒れてゆく。
それぞれの個性、特性を障害として変えるという社会ではなくて、それを上手に生かす人がいて、生かす自分がいてという社会にしたいと思っています。
そのためには学び方、働き方を今の仕組みを変えるのではなく、もう少し新しい仕組みをそこに加えて、きっと出来るのではないかと思います。