牟田泰造(元広島大学学長) 人生の師 湯川博士と私 |
基礎物理学准教授 湯川博士の指導を受け 物理学の研究にたずさわる 専門は素粒子論量子移動力学 |
中間子論 頭の中で考えてπ中間子があるはずだと論文にする 素粒子の根源的な物がどうやって寄り集まっているか 研究 それには力が必要 |
力の源になっているのがπ中間子だと、このπ中間子を仮定すれば世の中の物質が存在すること が証明出来るよと云った その後実験で本当に見つかる |
昭和24年の事 勇気をいただいた 小学校時代は鉱石ラジオを製作した その後真空管を買ってきてラジオを製作(小学校6年) |
諦めずにしつこくしつこくやるというのはスポーツ体験から学んだ 気質は優しいと思われているかもしれないが短気で剛 |
湯川先生は非常に短気だったようだ 先生が退官した後も足を運んでくれ混沌会セミナーをやっていた |
混沌の中から理論が生まれると「混沌」という言葉が湯川先生は好きだった |
混沌会に外部から来た方が非常にアイディアに富んだ話をされた だが数学的不備があっちこっとに見えた 結果的にはとっちめた様な形になった |
鋭く質問する 最後に私が質問した これがきいてしまい湯川先生がこれに対して怒り「ガツン」とやられた |
いつも私は(湯川先生)アイディアが大事だと言っているのに最初から数学の話ばっかりしていい アイディアを潰すような事をやっちゃいけないんだと |
こんな混沌会だったら私は出ないと出て行ってしまった その時益川 敏英さん(ノーベル賞受賞)も仲間だった 益川さんから慰めらたが3か月ぐらい立ち直れなかった |
物理学への道は→親の商売を継ぐのか(弁当屋会社) 物理学を学んでますます興味、魅力を覚えた 東大の大学院に行かして貰う(商売の世界とは関係ないが) |
湯川先生から16年間指導を受ける 「未来を過去のように考えよ」→1977年正月 セミナーでの話 意味を友人と語り合う |
研究者は不安を抱きながら計算をして結果がこうなちゃったんで世の中はこうなっていなければ ならない と結論するわけです 相当勇気のいる事 |
不備を乗り越えても生きてゆく事がある 湯川先生も何度も経験された事があると思う 集中してやって行った結果がπ中間子論にたどり着かれた訳です |
最近の若いものはすぐあきらめてしまう もっとよく考えろといいたかったんだろうと思うんですね 若い物に対する忠告として「未来を過去のように考えてみろ」と |
言いたかったのではないかと思います 未来の事を未来だと思うから不安になるわけですね 未来には自分の理論はめちゃくちゃになっているんではないかとか |
思うから不安になる 未来の事を実際に起こった過去だと思いなさい 起こってしまった過去で自分の理論が確立していてその理論に乗っかって更に先を |
研究してるという風に考えてみなさい そしたら今やっている研究に絶対の確信を持てるでしょう そのぐらいの確信を持ってやりなさいと言うメッセージだったのではないか |
残念ながら湯川先生は直ぐに亡くなられてしまった 研究者が物理の研究をするときに未来を過去のごとくに考えよと云うのはその通りで分かった |
だけどそれだけじゃないぞと、よく考えると改革をやろうと、企業でもいい こんな改革をやろうと社長がもし思ったとします その時に未来を過去のごとくに考えよ |
とすれば既に改革は終わってしまっている その結果会社はこの様に発展しているぞという未来像が描けるわけでしょう そうするとこの改革をやったら未来はどうなるんだろうと言う不安は無くなってしまう |
確固たる自信を持って改革を進めることができる と云うことで未来をかこのごとくに考えというの「研究者は」という言葉 |
が付いていたんだけれども これを取っ払ってもいいんじゃないかと 皆が未来を過去のごとく に考えてやれば自信をもって何事も成し遂げられる 最後まで諦める事はない |
と云う事になると思っている 広島大学の法人化に向かった大学改革の時にも随分牟田さんの支えになったわけですね そう思います |
国立大学の法人化は大部分の大学教授は反対でしたから でも世界の情勢を見ているとあれはやってよかったとあれをやらないと日本の大学はますます遅れて |
行ったんじゃないんだろうかと今は確信を持って言える 湯川さんの未来を過去のように考えて前向きに進めというかんがえは非常に役に立ったと思います |
湯川さんは平和運動にも、平和活動にもいろんな事に尽力された 牟田さんも広島の地で科学者の平和会議 運営委員長をされた |
「湯川先生の句 平和公園に碑がある 「我が 日よ 再びここに来るなかれ 平和を祈る 人の身ぞここは」 もう禍は結構だと自分のやった仕事は良い事だけ |
に使って欲しい と云う思いが込められているのかなと思っている |
人類は他の生物と比べて何が違うかと云うと遺伝子として身体の中に組み込まれているプログラム ともうひとつは文化と云うものを引き継いでいる |
遺伝子として引き継ぐものと文化として引き継ぐもの 二つの道があってこの文化というものは非常に 大事に扱ってきたために人類の繁栄があると思う |
其のところが他の生物とは違うところだと思います 猿とかカラスだとかも、ある時誰かが発見してクルミの皮をどうやって割ったらいいかを発見して |
それを伝承してゆくそれも一つの文化ですけれども人類が伝承している文化というものは圧倒的 に大きい 伝承している文化というものは使い方によっては |
悪い方向に行く事もありうる われわれは賢くなって知的財産をしっかり伝えながらいいものを残してゆく 言う努力をしていかないといけないなあと思っています |
文化を伝承することが言いかえれば教育 なんですけれども教育だけではなにも発展はないんです けれども新たな知恵をそれに付け加える そうすると教育の幅は広がる |
拡げる役割をしているのが何かと云うと研究上の発見 湯川先生はまさに研究上の発見を強力に 推し進めて成果を挙げられて教育の材料を増やして行かれた |
我々も微力ながらその方向でして行かないといけないと思っている |