最近落語を勉強している 第1回社会人落語日本一決定戦で準優勝する
外国人は言葉の壁がある
武道を教えて頂いて強さが判った そして逆に人間の弱さ、もろさが判った
最初喧嘩が強くなりたいと思い始めたが、そういう気持ちはいつの間にかなくなった
以前教えてくれた先生の息子、娘が学生チャンピオン、世界チャンピオンになっている
最近日本は変わってきたように感じる
日本人は生活環境の中で人間の関係を大事にしているが よく聞いたのは日本人は一を知って十判るという察する文化が有ったんだ
今でも覚えているが「ゴホン」と咳をするだけでそれを受けて回りが大丈夫かな と云う雰囲気があったが、「大丈夫?」と云うような事がない
私が電車に乗っているんですが、席を詰めてくれないとか、立っている人を座らせないとか、シルバーシートが必要な人を見ぬふりしたり寝ていたりして対応しない
マナーが悪くなってきている 人間関係が希薄になってきていると思う
違いは無限にある 違いは 余り良い事を連想しないのでは 嫌い、敬遠したり、怖い、と云うような発想に至るのではないか
違いと云うのは人生を楽しくためにあるのではないか ハイ判りましたと言う時に日本では頭を前に下げるが、スリランカでは頭を8の字に動かす・・・違う
違いを楽しむ 学んでゆく(何で違う文化が生まれたのか) 育ってゆく 生かす(活用するためにある) ともに笑えるような世の中になってゆくのかと思う
世の中に学びの大事な一つの根っこは多文化共生社会作りだと思っている
違いは新しい情報、新しい知識 自分が持っていないもの 何のために有るかと云うと自分が変化する為に有る 新しい自分を作り上げるために有る
違いを受け入れず自分を変化させない状態 排斥する これは一番勿体ない事です 新しい自分を作り出せない
「受け入れずして変化する」・・・ 自分が変化するのではなくて相手が変化する 郷に入っては郷に従え は大事(同化) 同化にとどめるだけではもったいない
外国人から日本人が学ぶことも大事 排斥になったり、同化したりする、あるいは変化しないで受け入れることがある(棲み分け)
棲み分け せっかくある地域に住んでいるのに混ざっていない 例えばブラジルで日本人とブラジル人がそれぞれコミュニティーを作ってしまっている
いろいろ混ざってほしいなあと思う お互いに違いを受け入れてお互いに変化する それがまさに共に笑える時代だと思う
日本に来た当時、国際交流イベントが沢山あった 就職活動した時に国際と云う名前がある団体を探した 大きな団体を探したが、断られる 理由は外国人だから
最初のパーティーまがいの事から裏切られた 意外と国際と名のつく団体は外国人を受け入れない方向に有った
ある約束事の中でしか受け入れてない 既存の国際化というのは日本人が日本人の為に日本人によってやっているものと思った (日本人の自己満足的な)
消防団にも国籍情報がある 開示しているところもあるが 消防団の人が少ないので地域に入ろうとしたら 悲しかったのはその地域の為に頑張りたいと思って
入ろうとしたときに消防団の人とのコンセンサスが取れているのにも係わらす、制度が邪魔する
制度の改革であったり、心の改革であったり、言葉で沢山コミュニケーションを取る事によってこういう壁を救って行かないといけない部分が沢山ある
受け入れているようで外国人を受け入れていない体質が日本ではある
日本は本能的に「違い」に対して怖さ、嫌い、敬遠と云ったものがあるからだと思う
発想を転換して「違い」を楽しいとか、沢山そこに学びがある、自分の成長の為に大事なんだと思う発想を変えた瞬間から、自分から近付くとか 自分から挨拶するとか なると思う
挨拶は人と人との係わりの最も基本的なケースですけれども、お辞儀もスリランカの人から見ると不思議に思われる? スリランカは手を合わせる
日本の企業の摩擦 「日本的経営の海外移転可能性」(博士論文) 日本経済の絶頂期に来日したので日本の経営を学びたかった
スリランカの経営文化はイギリス人に学んだものが定着している
特徴は階層社会文化があって 日本では画一的な要素が強い文化がある
日本は経営文化ではフラットな関係があるのかなと思います
スリランカの会社ではトイレが3種類ある 一般工員用トイレ 事務職員用トイレ 管理職用トイレ(階層制強調部分)
スリランカでは階層間での交流はない
時間がたつと今見ているがそれが日本のいい所と、スリランカのいい所が一緒になってハイブリッド化された新しい経営文化が生まれてる
異文化が交流することは大事だなと思います
どっちかが「染まる」だとか「同化」するだとか「形をなくす」 ではなくて その文化のいいところをきっちりどんだけ残しつつ、進化すると言う事は大事なことと思う
アメリカの社会作りは前はメルテイングポット という概念を使っていた 白いスープのようなもの いろんな具材が入っていても最終的には白い色にみんなが統一される(同化する)
今ではそうじゃない サラダボールという概念を使っていて 街作りはそれとりどりの野菜が一つの椀に盛られるような特徴を生かしたまま同じ椀に盛られると言うようなことを目指している
文化は会ったときにどっちかをなくすんじゃなくどこまで残すかが大きな課題で、残しつつ最大の力を発揮するのが求められる
世の中でいろんな事が起きているが 問題解決の糸口が日本に有るような気がしてならない 何が今一番世の中に求められているかと云うと 我々が無くしているものが三つぐらい有って ①大きな循環性を失っています
②多様性を失ってきている
③過剰な商品化(非人格化)→ 関係性の取り戻し
この三つを取り戻す事で人間らしいゆたかな社会作り、個性作りが出来るのでは(その答えが日本にあるのでは)
日本はめんどくさい事が多い これが日本人の良さ(人間関係を大事にする)
鯨の供養をする(命を大事にする) 針供養等々 日本人は命のありなしに係わらず敬う
命があろうとなかろうとなかろうと全てに対し想いをはせる豊かな人間性を持っているから それこそが世界が抱えているありとあらゆる問題に解決の糸口がその精神にあると思えてならない
日本の凄いのは進化させている事 神社で(芸の神様)落語の芸をしていたら それを見ていて外国人なのに丁寧にお祈りしてと驚いていた
私も外国人だけれども神様も外国人だと ヒンズー教の神様 (弁天様) 七福神にしても一人だけ日本で他は中国、インドからきた神様
元の形をはるかに進化させた そういう事が日本の社会にはあるんですね
そこが魅力的 惹かれる部分がある・・・しかし最近日本人は忘れかけているのではないか
違いを取り入れてそれを物を作ったり、発揮したり、美しいものにして行ったり、皆で楽しんだり、笑ったりする文化が日本人がだれよりも長けて持っている
そこを日本人がもう一回得意技だと言う事を発揮して頂きたいと思っている
日本はもっともっと良くなってゆくし、日本が世界に向けて発信できる素敵なメッセージもそこから生まれてくるんだと思います
言葉と云うものは考え方を教えてくれる 人間は言葉で考える
深い考えを持たせようと思ったら、一つの言語でどんだけ長い期間、教育を受けたかによって 変わって来るんだと思いますね
出来るだけ長く一つの言語を特化して教育を受けると言う事は、深い考えが出来る人間形成にとっては非常に大事なんですね
子供には出来るだけ長く日本語を深く勉強してほしいと思っている(最低大学までは)
絶望から立ち上がるに何が必要か→世の中、自分の身の回りで起きるものは全てを力に変えないといけない
今回の教訓も(東日本大震災)力に変えないといけない
毛利元就の矢の話を 実際にやってみて 1本で折れた 3本でも折れた
折れた理由には2つある 3本は隙間があいていた(隙間があると折れやすい)
折れなくするには本数を増やす これから生きてゆくには3つぐらいでは間に合いませんよと
自分とは違う文化の人達とどれだけ固めるか 自然、自然からの教訓 失敗談、成功例、全てを本質として抱えることが大事 それが強さを増してくる
隙間→身近にある関係をもう一回 詰める必要がある
さらにもっともっと沢山の経験とか沢山の仲間を増やして行く事が大事
セレンディプティー なまってセイロンになったと言われる
「御縁」(日本語に訳すと) を大事にする 「偶然力」 日本との出合いは私の人生を変えた 恩返しをしたいと思っている