2011年11月25日金曜日

柴田とよ(100歳) 健一(66歳)  ・元気でいます



柴田とよ(100歳) 健一(66歳)     元気でいます

<概要>
息子が詩を作っており ある時母親が腰を痛めたのでそれを機会に詩を作ることを母親に勧める
其の時が92歳 その後注目されるようになり 東日本大震災での「震災地の貴方に」がNHKで放送され大きな反響を呼んだ
母親と息子との係わり、詩に対する事  詩 「倅に」 「目を閉じて」 「がま口」 「被災地の貴方に」 「手紙」(天国の両親に)について

とよさんの詩を沢山の人が読んでくれた  読んでくれた人達におっしゃりたい事は?→
元気に、あんまり苦しい事を考えないで、いい事を考えて元気に。
一人でも寂しくない (ずっと来たので)  息子と一緒に詩をやっている 

「倅に」 朗読 詩を作ってゆく
「何か辛いことがあったら 母ちゃんを思い出せ 誰かにあたっちゃあ駄目だ 
後で自分が嫌になる 観てみなせ 窓辺に日が差してきた 鳥が鳴いている
元気出せる 元気出せる 鳥が鳴いているよ 聞こえるか 健一」

私が小学校4年生の時に 宿題がでまして、 詩を作って持ってこいと云うんですよ 
母親に「母ちゃん こういう宿題が出たんだけど どうやって書いたらいいんだろう」
と聞いたら 「ありのままをそのまま書けばいいんだよ」と云われた グローブと云う詩を書いた
私は野菜が好きではなかったのでその野菜を食べたらグローブを買ってくれるという詩なんですよ 出したら入選した これが詩に係わる原点となった
母親が腰を痛め、何かすることはないかと考えたら お金も掛らないし、詩を書いてみたらと母親に勧めた 
「目を閉じて」を母が書いてこれはいい詩だと思い私が新聞に投稿したら2カ月ぐらいたって 
入選してたんですよ 母親に知らせたら本当に喜んで 
それから 1週間に一度 俺も来るから 2人で意見を交換し合って 詩の教室をやろうということで それからあっという間に8年経ちました

「目を閉じて」
「目を閉じると おさげ髪の私が 元気に駆け回っている 私を呼ぶ 母の声 空を流れる白い雲 どこまでも広い菜の花畑 92歳の今 目を閉じてみる
ひと時の世界が とても楽しい」

こういう詩を書ける人はもっと一杯いると思うんですよ 詩の世界だけでなく 絵でも、歌でも、
絵手紙でもなんでも 第二、第三の「柴田とよ」は必ずいると思うんですよ
私は一人っ子なんです 裕福な家庭だったようです 
祖父があまり働かない人で家が傾いて 長屋に住んでたんですよ 
祖父と祖母と私と 母親と父親で住んでいた
私はずっと父親とは意見が合わなかった 今思うと立派な人だった 
養子でもないのにみんなの面倒を見ていたし、中華料理のコックだった
 いろんなところに行っていて中々帰ってこない 
私は祖父母と母親に育てられたようなもの 凄く可愛がられました   
子供の頃数人で 農家にスイカを盗みに行ってつかまって 母親に食べさせたかったと言ったところ 半分に切って持たせてくれった 母親に見せたところ
怒って 貧しくてもその様な事はしないと その家に謝りに行ってくれた 
  
小学校4年ごろ母親に何か買ってやろうと思った 友達と納豆売りを始めた 
当時仕入れが10円で7円ぐらいの利益があった 売ってあるってお金を貯めて
新聞配達もするようになって 昭和34年ごろで400円~500円でがま口を買ってやったら本当に
喜んで 自分で働いた金で買ってやったら喜ぶものだと感じた
母親は必ず働いていた 縫物とか
 
「がま口」
「毎年 お正月が来ると 思い出すの 当時小学生だった倅が 納豆売りをして 
買ってくれた大きながま口 母ちゃんにお年玉だよ と云って私に贈ってくれた
かじかんだ小さな吐く息の白さ はじけるような笑顔 私は忘れない 
がま口は今でも私の宝物 お金は溜まらなくってもいい 優しさが今でも 沢山入っている」

今でもがま口はある 話はするが照れくさい
26年前頃 詩集をだしたいと思って あんたはそういう才能がるんだから母ちゃんがへそくりを
貯めていたお金があるから 当時で20万円貰った
それを使ってしまって、 詩集を出せない どういう風にいいわけしたのか判らないが 
母親は何にも云わなかった
妻からも同じような事をして信用をなくす  大震災の時に家に居た 母親が心配で電話をしても通じない 翌日に通じる 関東大震災に匹敵するほど怖かったとの事
大震災の状況を知ってとよさんは詩を書いた
 
「被災地のあなたに」
「最愛の人を失い 大切なものを流され あなたの悲しみは 計り知れません でも 生きていれば きっと いい事はあります お願いです あなたの悲しみは心だけは
流されないで 不幸の津浪には負けないで」
被災者の皆様に あーなんという事でしょう テレビを見ながら ただ 手を合わすばかりです 皆さまの心の中は 今も余震が来て 傷跡がさらに深くなっていると思います 
その傷跡に 薬を塗ってあげたい 人間だれしもの気持ちです 
私も出来ることは 無いだろうか 考えます もうすぐ 100歳になる私 天国に行く日も近いでしょう その時はしらすとなり そよ風になって 皆様を応援します これからも辛い日々が 
続くでしょうが  (幸せ)は必ずやってきます くじけないで」

今はみんなが応援しているが段々忘れて言ってしまうのではないかと思っているので心配している
生きる勇気が湧いたとか、うつ病が直ったとか お婆ちゃんと似ているとか 
私達よりもっともっとつらいひとが沢山いるのだなあと感じたとか 手紙等沢山いただいた
実は我々親子の方が励まされている 母親は皆さんに感謝している
 
「手紙」(天国の両親に)
「おとっつあん おっかさん とよは100歳に成りました  2人が見守っていてくれたおかげです つれあいもそちらに行って18年 一人暮らしはきついけれど
多くの人に支えられて とっても幸せ 健一も 元気ですよ 66歳になったの 私に詩作を教えてくれた だから 寂しくはないわ おとっつあん  
焼酎ばかり飲んでいては駄目よ おっかさん 働き過ぎないでね つれあいは 如何してます? 私の事を心配してくれているかしら? 郵便配達のそよ風さんは外で待ってるわ 
     追伸 とよは もう少しこちらで がんばります まだ連れには来ないでね 」

今後私は自分も一緒になって詩を続けていければなと思います