2011年11月5日土曜日

水口憲哉(東京海洋大名誉教授)   ・海と魚と人と

水口憲哉(東京海洋大名誉教授)              海と魚と人と  
中国の大連で生まれる 引き上げの船の思い出 船倉での記憶 新宿にて生活を開始  
現在千葉県九十九里浜の南、いすみ市に住む
宮城県石巻市綿野葉 漁村での最初の体験 種牡蠣 (大学時代) 
東北との付き合いは長い 東京海洋大学 原発との関係を研究していた
陸前高田 火力発電所、ダムの問題で良く通った  
問題点を指摘して建設を断念に追い込む

原発をつくらせないということで30年間やってきたが、悔しさと、空しさを味わっている  
(未記載)を上回る放射能の汚染有
福島第一原発 1978年にほっき貝からコバルト60マンガン54が検出されてその時にも係わった排水溝の堆積物から放射能が検出された
 ほっき貝を採取 1年間控えて話し合いをしながら最終的に発表した  
青森県の六ヶ所村に集結 
漁場破壊、環境汚染の問題で漁業者といろんな問題に取り組む場合には伴走者と云うような立場をとっていると思っている

消費者と生産者との間に立って何時でも安全なものが食べられるようにという立場に立っている 大量の放射性物質が流出したが、世界的に見ても最大の量だと思う 
今回のように放射性廃液が直接海に流れ出したと言うのはない  
イギリスとフランスの再処理工場からは国が認めて放射性廃液を捨てているが最初の頃1年間の量よりも今回の量の方が初めの7日間で棄てた量の方が多い
それだけ規模が多い 水産物の影響は多い 回遊性魚類の影響 
汚染域にどれだけいたか 10ベクレル以下のものを子供には食べさせたいと私は思っている
日本ではこれまで放射性廃液を捨てていたが 5桁、6桁の高い濃度の廃液が流された 
千葉県銚子沖で7月8月と放射能を測定している
20ベクレル/kg 前後の値がずっと続いている (真鰯で) メカニズムが想像つかない 
理解できない 
薄まるから 放射性物質は無くなる事はない ヨウ素131 
2002年 1万枚 ハガキを六ヶ所村から流す(放射性物質の流れ具合の調査) 
一番多いのが六ヶ所村 岩手、宮城 数通返却  茨城県のところで40通の返却有
利根川と黒潮のバリアみたいなものがあって房総には流れて来ないのではないかと思われる
放射性物質は基本的には大きく広がって海面から段々深くなってゆくにつれて薄まってゆくが、さらに深く行くと底の方に溜まる (放射能の物質にもよるが)
吹きだまりのようなところに集まる 
アメリカが海に原子炉を捨てる事を考えた 最終的には海に捨てる考え方がある  
海からの恵みを考えない人達がいる
高レベルの核廃棄物 考え方を変える必要がある  
資源維持の考え方 いつまでも魚、海老を食べられるようにするには 行政にとっての資源維持の考え方、漁場破壊を許さず、乱獲を許さない 
汚染の問題は陸上でいろんな問題が出てくるので 発生源  放射能については原発であり再処理工場である
 
有機錫化合物 TBT 船底にふじ壺、海藻、牡蠣が付かないようにする船底料がある 
燃費が20%改善する 2008年に塗ってはいけないと言う事になる
発生源を断つと言う例 原発を止めて発生源を断つ  
原発は平和利用でいいものと思われてきたが呪縛のなかにとらわれてしまっている
核兵器は段々使わない方向になってきているが原発のほうはそうはなっていない 
核文明(核兵器、原発)から脱する必要がある  
子孫が安心して暮らせない
福島第一原発の事故により世界の人達が再認識させられたと思う 
地震だけは我々にはどう仕様も無い ドイツははっきりと舵を切った
電気の使い方を考える必要がある