秋田県出身 父が胃癌の末期 亡くなった後で父が癌である事を母から知らされる
2つ上の姉が転移性肝臓がんの末期である事を知らされる
CT画像を見せられて病状を確認させられる 余命1カ月 と言われたが5カ月
家での看護を主体にする
そんな状態で家で看病してもいいのかと云うような反対意見もあったが 家に連れてきて子供たちとの会話の弾む姿を見て,あっこういうやり方もあるんだなとそういう姿を見てもらって納得してもらった
当人にも試験外泊と言って納得してもらった
仕事と子育てを捨てて姉を看護するわけにもいかず、お願いして対応する
新しい仕組みを佐藤先生に会い 引く受けてもらう事になる(東京から神奈川まで来てもらう
余命1カ月の中で夫が炊事、洗濯をする(それまでは一切家事をする夫ではなかった)
例え身体が動かない状態であっても まだまだ役割があるわけで、残された時間をベッドの上で患者役割だけで過ごすのが非常にもったいないと其の時感じました
最後は病院で亡くなった
病院についてから2~3日で昏睡状態になる
最後まで家に居れたかなとの想いもあったが あれでよかったと義兄からは言われた
訪問看護をするようになった(姉の看護を見て)
住みなれた家で家族に囲まれた中で支援が出来ればなと思った
夫が東京に変わると言う転機もあったので今まで務めていた臨床の病院、看護学校 ではなく現場の看護をやりたいと強く思って訪問看護の仕事を選んだ
今は会社組織にした (平成13年) 訪問看護、ケアマネジャー、
初めは広域に回っていたのだが、今は全国に5400か所の看護ステーション、 新宿区内でも17か所 看護ステーションがあるので比較的事務所から近い範囲で仕事をしている
具体的討議を行っている 医師との勉強会も行う
ボランティアとも交流 犬等 散歩仕事 介護報酬 平成18年介護保険が改定になった時に予防に凄く力を入れて、その代り生活援助の部分は限りがある
ボランティアが居ないので自分たちで組織をちゃんと立ち上げて育成もしたりコーディネーターも付けて と云う事で2006年 NPO法人白十字在宅ボランティアの会を発足
看取りで印象に残った患者→77歳で子宮がんの末期の方、 大きな病院で診断を受けて そこでは治療が難しいと言われ一般病院に行った
子宮癌から骨盤のなかの骨に移転 両足が不自由になって お小水もでなくなって管を入れる お腹も腸閉そくを起こしていて 自由に食べられない
その方は強い意志を持っていてずっと天井を見てしかも時間が限られているならば 家に帰って家の同じ天井(天井のしみがいとおしい)を見たいので家に帰りたい
親戚も頼れない 検体の手続きをしてあった(70歳) 身の始末はしてある
段々食べるものが少なくなり 死期が近づいて明日朝又来ますねと云って翌日伺ったら
ちょっと前に亡くなっていた (土曜日)
自分がこうしたいとはっきり言ってきちんと身の始末をしてその方に非常に感銘を受けました 在宅にこだわる事→家族に囲まれて 命の始まりと終わりが家族の手を離れて病院に委ねられて管理された中でおこなわれている現状にちょっと人間らしい姿と云うか
命のたな心にのせて愛おしいと言うそれを 取り戻すのも必要なんじゃないのかなと思っていて家族がいなくても一人でも出来るし、丁寧のお世話をして、その人らしく見送れると言うのは今の病院で出来るのかなと 重装備になってゆく死の看取りの現状を見るにつけ、やっぱりもうちょっと自然に見送りたいと思った
自宅を考えを広げて居宅、ケアーハウスでも看取りが出来たならと その時に在宅ケアで培ったスキルが生かされれば想いで深い見送りが出来るのでは
残された人も満足した死の迎え方が出来るかなと それが出来るのはやっぱり家や家に近い環境のところかなと思っているのでかなりそこにこだわっている
暮らしの保健室を始める
看取りのまえの段階でケアをしたいのにその場が無いので
(癌の相談をもっと早い時期からしたい 不安を抱えている)
身近なところに相談をする場があればいいかなと思った 「健やかに暮らし安らかに逝くために」公開講座 在宅療養の勧めを一般の人に知ってほしかった
講座に来ていた人から場所の提供を受けてそこで始めた
40人/月 高齢者のみならず障害を持っている人の相談等々ある
人間らしさを取り戻してみんなに囲まれながら亡くなってゆく
家族でなくてもケアする人のチームを組んで看送れたらどれだけいいかと そういう看取りをもうちょっと拡げてゆきたい