小山修三(吹田市立博物館館長) 挑戦する博物館
吹田市立博物館では特別展の企画運営を中心に市民参加を積極的に進める
20名の従業員 特色 地方の歴史を展示するのが基本理念 市民参加の博物館
岩倉具視が起点になって1年以上かけて、欧米に行って見て、あっこれが庶民の文化の為に一番なんだということで、国立博物館をつくる
どんどん押しつけてくる 文化レベルを上げる
お宝の番人見たいで触ってはいけない
ルーブルに行って吃驚したのはルーベンスとかドラクロア 名画がずっと並んでいるだけでガラスケースに入っていない
2004年着任 一般的な地方博物館だった 来なくなっちゃていた
公のお金が入って来る時代 古いものを展示
市民から博物館を盛り上げる運動が始まる 千里ニュータウン展を実施
今までの博物館の枠に入らない状況
市民委員会を作って新しい意見を出して対応する方法にした
40数名集まって(かつての住民を含め)議論 2006年に千里ニュータウン展を実施
バスタブ等 生活の場の再現 当時の生活用具
博物館は展示する物から総合的なものに変わる (劇、歌、等) 良く入る
生まれは香川県 小学校1年生が終戦 いつも腹が減っていた
山へ行って実を取ったり、海で魚を取ったりしていた
国際キリスト教大学にいく 考古学 土器を掘り当てる
土に文様が転写されているのを見て吃驚した
恋ヶ窪に土器が有った (崖の部分) 栗の栽培、粟
縄文時代 二万年に遡る時代ではないかと思われる
黒曜石 分布
1971年アメリカに留学 カリフォルニア大学 5年間いる
博士論文 カリフォルニアの先住民の人口と食糧の関係 川が何kmあれば人口を何人支えられるか
日本の縄文時代の人口を計算してみたらどうかという事になる
日本に帰ってきて各県の台帳を調査 パソコンが広まり始めたのでグリッドに落として計算してきた 縄文中期の土器の発掘量が東日本に物凄く集中していて
(武蔵野で発掘したものとはほぼ共通している)西日本は中期はがらがらです
27万人が住んでいたと推定する (北海道入れずに本州のみで)
ピークの時は東日本に集中していたと思われる・・・縄文中期
梅沢忠雄 情報論を中心とする見通しの正しさ 仕込まれました