2023年10月31日火曜日

片岡鶴太郎(俳優・画家)         ・〔わが心の人〕 棟方志功

片岡鶴太郎(俳優・画家)         ・〔わが心の人〕  棟方志功 

棟方志功は1903年明治36年)青森市生まれ。 版画に新風を吹き込み、独自の表現を深め世界の棟方と言われました。  1975年(昭和50年)9月に亡くなりました。(72歳) 今年は生誕120年に当たり、今、東京国立近代美術館では大規模な企画展が開かれています。

体重は42,3kgぐらいです。 毎日ヨガをやっています。  5時間ぐらいかけています。  基本的には夜11時に起きてヨガが始まって朝5時ぐらいまでやって、そこからゆっくり朝食をとるのを12年やっています。 食事は1食です。 果物、野菜が中心です。 体重はずっと変わっていないです。  やっていて気持ちがいいです。 

最近の映画では「春に散る」、ボクサーがテーマの映画です。 ボクサーの現役をリタイアして、或る青年と出会って光るものがあり、佐藤浩市さんと二人で世界チャンピオンにしようかという事で、魂をもう一度蘇らせて、世界を目指すという話です。 若きボクサーは横浜流星さんが演じました。 横浜流星さんはトレーニングに打ち込んで、最終的には現実にプロライセンスを取りました。  原作は沢木耕太郎さんです。 今回で4回ボクシングに関わる作品の役をやりました。  

ドラマで棟方志功を演じたことがあります。(1989年)  渥美清さんが棟方志功を演じたことがあり、それを観て(小学4年生)強烈な印象を受けましした。  こんな仕事をやりたいと思いました。  プロデューサーの澤田隆治さんに棟方志功の役を指名してもらいました。  棟方志功のNHKのドキュメンタリーが残っていて、独特のそのキャラクターを役者としてどう演ずるか、考えました。  津軽弁の指導のかたも横についてもらって指導していただきました。  そのドラマを渥美清さんが観ていたことが後で判ったんです。  渥美さんは実際に棟方志功と会って話をして、その時の様子を話してくれました。

絵を描くようになってから、改めて棟方志功の作品を見るようになります。 38歳から絵を描き始めました。  ドラマのロケで朝5時に玄関を出た時に、振り向いたら赤い花が咲いていました。 その赤い花に魅せられてしまいました。  観ていようが誰も観ていまいが、自分もこのように凛と咲いていたいなと思いました。  後でそれが椿の花だという事を知りました。  この感動を伝えるのは絵だなと思いました。  直ぐに墨と硯を買って密かに始めました。   花は立体的で難しいので、魚から描き始めました。 独学で毎日毎日やって行きました。  個展をやるようになっていきました。(39歳)  個展をやるために1年間で125点描きました。 それから60歳まで毎年やりました。  肉眼で見る色と違って感じる色が出てきました。  「感じた色をもっと表現していってください。」と言われました。  そこから自分の色が出てきました。  

自分で絵を描く様になってから、棟方志功の作品を観ると凄いなと思いました。 まずオリジナリティー、青森の民族的なもの、大和絵、が根底にあって、そこから独特な棟方志功の色合いがあり、海外だったら相当なインパクトがあったと思います。  アニミズム(霊てきなもの)とプリミティブ(原始的なさま)、縄文の時代の感じでしょうか。  むき出しの人間性(喜怒哀楽)の方という感じです。 野人的な面と同時にもの凄い繊細な心の中の網を持っている人だと思います。  

生誕120年という事で、富山から始まり今東京で開催。  僕の絵は身近なものがモチーフになって居るのでわかりやすい絵だと思います。  絵と一体になっている言葉、棟方志功も作品の中に詩を詠んでいたりします。  私も少なからず棟方志功の影響を受けてきたと思います。  今多く描いているのが、金魚、小鳥が多いです。  自分なりにアレンジして描いています。  「老いては「好き」にしたがえ」という本を出版しました。    好きなことをやることが一番大事じゃないかと思います。  リタイアしてから趣味を見つける事はなかなか難しいと思います。  若いうちから好きなものを持っておいて、忙しいとか言い訳を付けずにやってみる。  来年は70歳になります。 90歳になった時にどんな絵、書を書いているのか楽しみです。  90歳になった時にもしゃれた格好をしていたいです。