2023年10月27日金曜日

萩生田愛(バラ輸入業)         ・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕 アフリカのバラが教えてくれた夢を叶え続ける人生

萩生田愛(バラ輸入業)・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕  アフリカのバラが教えてくれた夢を叶え続ける人生 

萩生田さんはアフリカのケニアのボランティア活動で学校に行けない子供たちの現状があることを知ります。  世界に誇るケニアのばらを通じて経済的な支援をしようと、ビジネスを展開しました。 5歳の子どもの母親でもある萩生田さん、子供が生まれてからは仕事に対する価値観を大きく変わり、新たな夢に向けて動きだしています。 

ケニアのバラは色が鮮やかで丈夫で、日本ではなかなか見られないバラですね。 1か月持つというお客様もいます。  2011年ケニアにボランティアに行った時にバラに出会いました。  ケニアの村で小学校を作るボランティア活動に参加していました。  1年生から8年生まであり、教室が少ないと違う学年の生徒が入って、20人程度の教室に50~80人がひしめき合って座っているような学校も沢山あります。  教室を作って現地のお母さんたちに教えたり道具の管理の方法を教えたり、といった活動をしていました。  

学校を作っていていろいろな壁にぶち当たりました。  学校を作っても学校に行けない子供たちがいました。  両親の雇用を作って子供たちが学校に行けるような環境を作ることも大事だという事を感じました。 ある店で生命力のあるバラに出会いました。 1か月も長持ちしました。  日本では3日から7日で枯れた経験がありました。 ケニアはバラの生産大国だという事が判りました。  このバラを日本に持ってくれば、もっと沢山の雇用を増やすことが出来て、日本ではバラを見て心の豊かな人が増える、そのような循環を生み出したいと思いました。 バラを輸入しようと思いました。

日本のバラは単色が多いが、観たことのない柄と鮮やかな発色で大輪でした。 ナイロビから車で3,4時間行くと標高が2300m程度のところに湖があり、そのほとりにバラを生産する農家が沢山あります。  日本の天井の高さの5倍ぐらいのグリーンハウスがあり、その中で栽培されています。  一つのハウスに5人程度のお母さんたちが担当しています。 蕾から少し開く頃に収穫して、段ボールに300本ぐらい詰めて、トラックでナイロビまで運んで、飛行機で17時間かけて日本に運ばれてきます。  水を上げると生命力がみなぎって来ます。 2012年に輸入を開始した時に、生産者の数が150人、現在では1500人になっています。  

私は高校時代はオーストラリア、アメリカの大学を卒業しました。  祖父から「将来、英語をぺらぺらに話して、グローバルに活躍する女性になりなさい。」と言われました。  生きた英語を身に付けて人とコミュニケーションをする、そのために英語を使えばいいんだと思いました。  高校でオーストラリアに留学したり、大学ではアメリアの行くことになりました。  アメリカの大学に行って価値観が大きく変わったと思います。  アメリカでは発言がないといないのと同じという風に思われてしまって、評価につながらない。  「あなたはどう思うの」といつも聞かれます。  大学での専攻は国際関係学とスペイン語学の二つです。 模擬国連に参加して、アフリカで貧困や環境破壊など様々な課題があることを勉強しました。 アフリカの貧困問題に関心を持って、解決の一部になりたいと思うようになりました。  

「これからケニアのバラを輸入して貢献できる仕事をしたい」とケニア人の友達に言ったら、「貴方の大好きな仕事をしなさい、そしてあなたがやっていることを愛しなさい。」と言ってくれました。 結婚して現在5歳の子がいます。  バラの事業との関係性について混乱してしまって、両立が難しい期間がありました。  産後2週間で復帰しなければいけなくて、子供が成長するにつれて、少しづつバランスが取れるようになりました。  人々の生活スタイル、社会の仕組み、豊かな社会の循環とか学びたいと思って、デンマークに一人で留学しました。(子供が3歳の時)  夫、実家の両親が理解してくれました。    

自分のメンタル面の回復、生産性のない会話(東京ではなかったことでした)などをして、余白と無駄しかない生活を体験しました。 こう言うのが豊かさだと気が付きました。  自分自身への厳しさ、人への厳しさが緩まって、自分自身にも優しくなれる、人にも優しくできることになり、肩の力が抜けました。  「スロー フラワー」環境に配慮された花を育てて人の心を豊かさをはぐくんで行こうという活動を新しく始めるきっかけになりました。  無理にやらなければいけないという考えを手放して、「スロー フラワー」という概念に出会いました。  無理しないライフタイルになったかなと思います。 

子どもには健康で自由に生きて欲しいなあと思います。  ケニアではケニアの村の大人たちが村の子供達皆を育てているような感覚を感じました。 隣近所の距離感が近いと思います。  日本のマンションとかみたいに隣近所との面識がないと、子供を観てと言ってもできないです。  アフリカローズを始めた時の原動力は、不平等への怒りとか、憤りが原動力だったと思います。  今は10年事業をやって来て、或る程度の形にもなって来て、ふっと湧いた自分の欲求とかを純粋にかなえてあげる、そういう感じになっています。   夢を叶えるためにコツがあって、方程式の様にこれをやれば叶うという事があるんです。  人それぞれ思考の癖があるので、そこのメンタルトレーニングと言うか、夢を叶いやすい体質にする方法があるんです。  夢がかなったというイメージを先に描いてしまう。  それと組み合わせて行動をしてゆく。  自然に触れることで感性は磨かれると思うので、自然に沢山触れさせたいなあと思います。