中西良太(俳優) ・老いることは、未知への冒険
1953年兵庫県西脇市生まれ。 地元の高校を卒業後上京して俳優の修業を始めます。 1975年からロックンロールミュージカル劇団ミスタースリムカンパニーに参加、数多くの舞台に立ちました。 1970年代後半からはNHK大河ドラマや刑事ドラマ、サスペンスドラマなどに出演、中でも1980年から放送された渡瀬恒彦さん主演の民放刑事ドラマ『大激闘マッドポリス'80』では若手刑事役に抜擢され注目を集めました。 渡瀬恒彦さんとはその後西村京太郎作品を原作とした十津川警部シリーズでも共演して、公私ともの付き合いで、様々な薫陶を受けました。 以降、映画、テレビ、舞台と活躍中です。
西脇市は野球が盛んな街で、中学、高校と野球をやっていました。 4万人の小さな街ですが、映画館が5軒ありました。 家から50mぐらいのところに映画館が2軒ありました。 小さいころから映画が好きでした。 知らず知らず俳優になりたいと思っていたんだと思います。 進路を決める時にたまたま「美術手帖」という本をめくったら、70年代のアングラ芝居の特集があり、それでかなりインパクトがありました。 唐十郎、赤テント、青テントとかありました。 東京に行って舞台芸術学院に通いましたが、1年で辞めてしまいました。 竹内敏晴という演出家の演出している「インド人はブロンクスに行きたがっている」という芝居を見て、はまってしまいました。 それに出演していた椎谷健司らに憧れ、一緒に過ごしてゆくようになりました。
その後蜷川さんの芝居に椎谷健司さんと共に参加させて貰いました。(1973年 20歳) その話が風呂屋さんの御芝居でした。 本当に水を流して(水風呂)11月だったので寒かったですね。 1975年、ミスタースリムカンパニーに入る。(22歳) 大変な汗をかきながら、楽しくやっていました。 1980年(27歳)『大激闘マッドポリス'80』で若手刑事役に抜擢されました。 その刑事ものは悪役が刑事になったと追うのがコンセプトで、渡瀬恒彦さん、梅宮辰夫さん、志賀勝さん、片桐竜次さんと僕です。
渡瀬さんは無口で、コーヒーを一緒に飲む機会があって、何かしゃべらなくてはと思って何回かしゃべりましたが、何も話す必要はないんだとおもって、そのうちに苦ではなくなって来ました。 一緒にいるだけで嬉しくなっていきました。 渡瀬さんは重い、太い、静かというか、周りは凄く緊張します。 沈黙しているがつまらない訳ではないんです。 仕事に対する厳しさはありました。 渡瀬さんはいつも台本を読んでいたという思いがあります。 意志が強くて信念を曲げない人でした。 渡瀬さんと会っていなかったら、自分の生き方は随分違ったんだと思います。
30歳で俳優として何とかしなければと思うようになりました。 ミスタースリム的ではない演技を捜すようになっていきました。 40歳で自分で書いてみようと思って、コットンクラブプロデュースをやり始めました。 河西健司と僕と女優さんを1人ゲストで呼んで3人でやりました。 渡瀬さんは「役者は不安はつきものだけど、不満は持つな」という事を言っていました。 役に近づく道は台本を読むしかないんじゃないですかね。 そこから何か発見してゆく。 60歳になってから自由自在になりたいという思いが湧きましたが、そう思っている段階で自由ではないと思いました。
70歳になり、「老いることは、未知への冒険の旅だ。」という思いがあります。 人生山なりの気がしますが、逆にUの字型だと思って、歳を取ってくると坂がきつくなるんじゃないかと思います。 耳が遠くなるとか、足が痛くなるとか、それを自分で感じながら時間をすごしてゆく、みたいなことですかね。 自分がいいなと思うようなことを大切にしたい。 自分の中で豊かになればいいという事ですが。 夢と希望を持つことが夢と希望みたいなものですね。 「憧れる」という事は大事な感じがします。