2023年10月29日日曜日

矢野雄太(ピアニスト、指揮者)     ・〔夜明けのオペラ〕 人に寄り添い、音を創る

矢野雄太(ピアニスト、指揮者)     ・〔夜明けのオペラ〕 人に寄り添い、音を創る 

矢野さんは埼玉県出身、6歳からピアノをはじめ、東京芸術大学音楽学部ピアノ科卒業、同大学院修了後イタリアのミラノ市立音楽院指揮科を経て、ミラノスカラ座研修所を終了しました。 スカラ座では「リゴレット」、「ジャンニ・スキッキ」などオペラのアシスタントを務めました。 又イタリアのMDIアンサンブルやミラノクラシカ室内管弦楽団を指揮、ピアニストコレペティトゥアの研鑽を積んできました。 2021年に帰国し、今年琵琶湖の春音楽祭に出演、ミス?オペラメディアの副指揮や8月にはオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の指揮を務めました。 この4月からは母校の東京芸術大学オペラ科で後進の指導にもあたっています。 

学校は10月から後期が始まって、担当しているクラスは来週から始まります。 今31歳です。 24,5歳までは芸大で勉強していました。 芸大ではピアノを専門に勉強していました。  今は声楽科の皆さんと授業をやっています。  母校で自分がオペラを教えていることにまず驚いています。  母が町のピアノの先生でした。  6歳で僕がピアノをやりたいと言ったらしいです。  何回も辞めたいという思いはありました。  高校は東京芸術大学の付属高校に入りました。  中学に入る時に芸高を目指しました。 1学年1クラスで40名で全楽器でした。  刺激されてもっと勉強しないといけないと思いました。  8歳からピアノコンクールには出ていました。  大学でもヨーロッパのコンクールには薦められて出ました。(国際コンクール)  大学院までは日本にいました。

イタリアのミラノ市立音楽院指揮科にいきました。  先生からのアドバイスもあって指揮科に行くことにしました。  その後ミラノスカラ座研修所にいきました。 イタリアと言えばオペラなので、先生からオペラを勉強するように言われました。  試験科目には歌もありましたが歌はやったことがありませんでした。  歌は懸命に勉強しました。 オペラも観た事はありませんでした。 「ラ・ヴォエーム」の課題もありましたが、「ラ・ヴォエーム」も観た事がありませんでした。  8名が受かりました。(日本人は1人) 

入ってすぐに「ジャンニ・スキッキ」をやりましたので、思い出深いです。  演出はウッディ・アレン(映画監督)でした。  オペラは総合芸術なので僕に取っては全てが新鮮でした。  

*「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」 ジャンニ・スキッキ』の中でも最も広く知られた曲。 

ミラノスカラ座研修所にいた時には毎週のように違うオペラを読んで行くという感じで、ついてゆくのに必死で勉強しました。  オペラ指揮の授業もありました。 ひたすら詰め込んでいました。 「リゴレット」をやった時にリゴレット役をレオ・ヌッチさん(現代のイタリア・オペラ界を代表する歌手)が歌っていました。 

*「リゴレット」から 歌:レオ・ヌッチ

イタリアには5年間居ました。 2021年帰国。 コロナ禍でどうやって仕事をしていったらいいか、途方に暮れる毎日でした。  オペラに携わる仕事がしたいと思いました。 自分から連絡を取って積極的に動きました。  オペラって素晴らしと実感したので、オペラを仕事にできて幸せだと思います。 オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の指揮をして、総合芸術として一つ終わると達成感を感じます。

*「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲