伊集院静(作家) ・人生は回り道こそたのしい
1950年 、山口県防府市出身、高校卒業後野球選手を目指して、立教大学に進学しましたが怪我で断念、卒業後広告代理店勤務を経て1981年に作家デビューしました。 1984年に女優の夏目雅子さんと結婚しましたが、翌年夏目さんが病気で亡くなり、その後阿佐田 哲也という名前でご存じと思いますが、作家の色川武大(たけひろ)さんと出会い、再び小説を書き始めます。 1991年「乳房」で吉川英治新人文学賞受賞、1992年「受け月」で第107回直木賞受賞、そのころ篠ひろ子さんと結婚、仙台と東京を往復する生活が始まります。 小説家としては「機関車先生」で第7回柴田錬三郎賞、「ごろごろ」で第36回吉川英治文学賞 『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞 2016年には紫綬褒章を授与されました。 野球やゴルフなどのスポーツや、競馬、競輪、美術にも詳しく多様なテーマで綴られるエッセーも好評です。 最近では野間出版文化賞、ベストドレッサー賞も受賞しています。 2011年東日本大震災が発生した時には自宅のある仙台で被災されましたが、直ぐに筆を執りその文章に多くの人が勇気付けられました。 又新成人、新社会人へのメッセージも送り続けています。 昨年11月に出版した「ミチクサ先生」は新聞連載している途中で、くも膜下出血で倒れ連載を中断するなど、ご自身にとっても思い出の深い作品となりました。
2020年の1月にくも膜下出血で倒れ手術をして2年が経経ちましたが、2回目の手術が成功して、新しい本が出来るまでは何とか生きたいという希望があり、「ミチクサ先生」という本を出したことは、私の人生にとって大切で今後の自分の小説家の生活を占うというか。 一番知ってほしかったのは夏目漱石の生涯というのは、皆さんと何にも変わらないぐらいに面白くて、懸命に生きて、文豪と言われるから頬杖をついて何か考え込むような想像をするが、一生懸命生きてきた。 日本文学という言葉が現れたのは漱石が出てからですね。 漱石と子規が一番好きだったのは落語なんですね。 漱石は友情の熱い人なんですね。
母親がこれが小説だと言って持ってきたのが「坊ちゃん」でした。 小説家となって一番喜んだのは母親でしょうね。 明治の時代の手本のない時代に書いた小説家というのはどういう人だったんだろうというのは興味がありました。 夏目漱石はどんな人だったんだろう、どんな少年、青春、壮年時代を送って、どういう風に去っていたんだろうというの書きたかった。 やさしさ、樋口一葉に対する気持ちなど大したものですね。 樋口一葉の目の見つめている先がいいというんですね。 漱石はおおらかさがあるんですね、そうするとあっちでぶつかったりこっちでぶつかったり、それで「ミチクサ先生」がいいんだろうと思ったんですね。 漱石の「道草」があるのでカタカナにしました。
ただ頂上を見る人生だと大切なものを観なかったことになるのではないかと思います。 AIは辿り着く短い方を正解とするが、私は違っていると、苦労してあちこちいったものの答えが正しいと、これは現代人に一番言えるのではないかと、「ミチクサ先生」で友情と家族愛というもの、日本人は自分たちの代表選手を代弁しなければ駄目ですよ。 夏目漱石を大切にしなければいけません。 文豪という言い方がいけない、敬遠して遠ざけてしまう。 頬杖をついて難しい顔をしているが、あれは明治天皇が亡くなった時なんです。 漱石は明治天皇が大好きでした。 中学生でも読めるように易しく書いています。
「機関車先生」「居眠り先生」「ミチクサ先生」 先生三部作、 色川武大(たけひろ)さんと出会い、過ごした時間は貴重でした。 人にやさしい、照れ屋の人だと思いました。 飼っていた犬のノボのことは一日7,8回思い出します。 想像力を重ねる程に悲しくなります。 犬が亡くなって人は経験してみないと広がり、乾いた感じ、濡れた感じ、悲しみの加減とかはわからない。 ミチクサというのはそういう感触のことでもあるんですね。
若い人には苦しかったこと、つらかったことでしかあなたを豊かにしない、だから向かい風と追い風ならば、向かい風に向かって歩きなさいと、登坂、下り坂だったら、登坂を選びなさいと、こんな苦しさなんだとわかっていないと、きちんとした大人にはなれないよ、と言います。 お金では買えないものが世の中には山ほどある、お金では買えないものものほど貴重なものはない。
くも膜下出血で倒れ2度の手術をして、文章が優しくなったと言われます。 事実は小説よりも奇なりと言いうますが、実際に見てきたことのストーリーの方がそれは素晴らしいだろうと思います。 人の死というものは、人は事故とか病気とか人は寿命で亡くなる。 先生とは先に坂があるとか、躓かないようにとかそういうことを知っている人か、失敗をしたことがある人だと思うんです。物事の手本を示すことをいつも考えている。
井上ひさしさんに言われましたが「伊集院君、晩年がよい作家になりなさいよ。 天才で早熟で出ても晩年がよくなければ駄目です。」と。 勉年に出会った友は生涯の友というか、大切な友になる、とイギリスの諺にあるんですね。 失敗したり汗をかいたりそういった人生の方が、ストレートに行く人生より豊かなはずだという考えを漱石は持っている。 これから夫婦愛というようなものを書いてみたいと思っています。