米良美一(カウンターテナー歌手・西都市民会館館長) ・「難病」と「中傷」に苦しんだ故郷宮崎と いま向き合う
「もののけ姫」の主題歌、この曲を歌ったのが。宮崎県西都市出身でカウンターテナー歌手の米良美一さん(50歳)です。 米良さんは生まれつき骨が折れやすい先天性骨形成不全症という難病と闘ってきました。 繰り返す骨折と子供の頃に受けた周囲からの心無い言葉、米良さんにとって宮崎はいつしかわだかまりのぬぐえない故郷になりました。 そんな米良さんは去年の春から地元西都市民会館の館長を務めています。 米良さんの故郷と向き合う心はどのような変化があったのか、又病やコロナ禍とどう向き合って来たのか、伺います。
皆さんのところに出向いて歌やお話をして、一緒に共感するというのが我々の仕事の醍醐味なので、宮崎に留まらず私も旅してます。 皆さんに迷惑をかけないように、コロナ禍の中、細心の注意を払いながら何とか毎日過ごしています。 宮崎の風土が私を育てました。 宮崎は焼酎の好きな人が多いです。 敬老会とか地区の寄り合いとかが絶好の舞台です。 3,4歳のころ歌うとおひねりを投げてくれました。 難病で15歳ぐらいまでに30回近く骨折をして、泣いているばっかりいるような家庭の雰囲気が、歌を歌うだけで皆さんが喜んでくださって、お金までもらって両親が喜んで、それを見るのがうれしくて、ほがらかな気持ちになっていました。 3歳頃は「岸壁の母」とか歌っていました。 しょちゅうギブスをして子供ながらにどうして自分は迷惑をかける存在なんだろうと思っていました。 自己憐憫の思いが両親も私もありました。
6歳から親元を離れ全寮制の寄宿舎や小児病棟に入り僕は辛かった。 骨が折れるので痛いし発熱します。 そういったことを受け入れるしかなかった。 自己管理を学ぶ場でもありましたが、見張られているような感じでした。 月に一度迎えに来てくれて、又送り届けることが辛くて、一泣きしてから帰ったと、最近になって聞きました。 自分は自分で泣いていました。 小学校4年生の秋から、中学1年生の秋までは地元の学校に席を入れましたが、地元の病院に入院する生活が多かったです。 自分が被害を受けたことだけは良く覚えています。 身体的特徴のこととか、養護学校へ帰れとか嫌な言葉を投げかけられました。 「手曲がり、骨曲がり」という言葉が一番嫌でした。 両手とも変形しているし、両足も太ももなど骨が重なって付いている、先天性骨形成不全症という難病の特性です。 骨が変形していきます。 物まねも好きで、仕返しに言葉を投げかけてきた相手の特徴の真似をすると、輪をかけて又いじめられる、いやがらせされました。
父は林業の仕事をしていましたが、輸入材が増えて仕事が無くなってきて、土木作業などをして、母も同様にやるようになりました。(医療費がかかる。) 両親に対しても、お前の親は土方、泥臭いなどと、罵声を浴びました。 自分のことよりも、一番いやだったのが両親が愚弄されることでした。 それを言われると言い返せなかった。
「もののけ姫」でどうして宮崎駿監督は僕を選んだのか、でもあの映画は僕と被るんです。当時僕には分不相応な評価を頂いて、27,8,9歳と段々声が出なくなり、低身長を隠すために20cmのヒールを履いて歩くのも大変でした。 舞台をキャンセルするようになり、或る時理学療法士の方と巡り合いました。 或る時高い声が出なくなってきて、今歌える歌でレパートリーに加えてみたらどうかと言われて、「よいとまけの歌」を聞いて両親のことを思って歌ってみることにしました。 初めて歌ったのが西都市制40周年の記念の時でした。 母はわーわー泣いて聞いていました。 その都度録画して修正していきました。 「よいとまけの歌」とずーっと向き合い続けたという事は故郷宮崎とも向き合うという事にもなりました。 世の中のほとんどは善意で出来ていますが、一部の悪意によって人は物凄く不幸のどん底に突き落とされるから、出来るだけ周りの善意に触れてそこを信じてお互いが励まし合うという事が大事だと思います。
2014年末、くも膜下出血でトイレの前で倒れてしまいました。 救急車で運ばれて手術をしましたが、ステージ4という事で重篤でした。 ジタバタしてもしょうがないという様な気持ちでした。 喉に管を入れられたりして声帯に違和感を感じていましたが、声が出てステージに戻れるようになりました。 その後前十字靭帯で2か月ほど入院生活をしてリハビリ生活をしていて、コロナ禍で仕事が無くなり、ショックですが、注射は辞めたほうがいいとかありますが、しっかり自分で判断して自分で選びとってやっているところです。 ご縁を頂き西都市民会館館長を引き受けさせていただきました。 西都市の未来に一寸だけでも貢献できればと思って、僕が生きた証にもなるかなと思います。 僕は、活動しているよという事を伝えさせていただくことがいかにありがたいか、職員の励みにもなるし、僕自身の励みにもなります。