2022年1月21日金曜日

水上力(和菓子職人)          ・和菓子はサムライである

 水上力(和菓子職人)          ・和菓子はサムライである

和菓子作りを始めて修行時代を含めると50年余り、水上さんが作る和菓子は茶人から近所の子供たちまでをも満足させてきました。  海外のパティシエたちとのコラボレーションや講演を積極的にこなし、和菓子の魅力を世界に発信してきています。  水上さんに和菓子の世界の奥深い魅力や和菓子つくりにかける思いを伺いました。

わらび餅、わらびの根っこから取ったでんぷんで作りました。  根っこを4,5年寝かせます。  和菓子はあんこと皮が同じ硬さというのが基本的な考え方です。   今はお正月のお祝い用のお菓子になります。  時候を追ってゆく感じになります。  桜でもほぼ形は無限です。 職人の感性で作ってゆくわけです。   十五夜など見なくなってきていますが、和菓子屋などが掘り起こしていかなくてはいけないと思っています。  

あんこが命と言っていいと思います。   あずきの色も百人いれば百の色になります。   これが俺のあずき色だよというのは段々できてきます。    わらびも昔は自然のものを作っていたんですが、今は栽培です。  私は九州の垂水で作っているわらび粉(本わらび粉という)と岩手の西和賀

で作っている本わらび粉を使っています。   天然の物なので年によってでんぷんの質とかが違ってくるので職人の感覚で配合を変えながら作っています。   

大納言は粒あん用のあずきで、こしあん用のあずきは普通小豆です。 大納言は能登大納言、小豆は北海道です。  きんとんは青森の五戸の農家の方と取引しています。 

お客さんは和菓子の材料などを理解してくれる人が多いです。    海外のパティシエの方も来ます。  数年前、外務省の日本文化発信事業というのがあって派遣されたりして、製菓学校、料理学校、大使館などでワークショップをしました。  彼らはほとんど和菓子を食べたことも見たこともない。  和菓子は卵を除いて動物製の原材料を使わないわけです。  それが彼らにとって不思議、珍しいというわけで興味は物凄くあります。  海外のパティシエたちとのコラボレーションを最初にやったのがチョコレートでした。  お客さんも喜んでくれました。   

外国の方に和菓子を説明する時に「和菓子はサムライである」と説明しています。  お菓子は茶請けと言います。  請負ですから保証するという事で、お茶の味をよりおいしくするという事です。   お菓子を食べて口のなかに甘さが残る、その甘さがお茶の渋みを消して美味しくする、お茶には美味しくしてもらう権利があり、お菓子は美味しくする義務があるという事です。  お茶を殿様としてたとえた場合にはお菓子は侍ですから 、殿様のために献身しなければいけない。  お菓子を食べて口のなかに甘さが残り、その後お茶を飲んで「おいしいお茶だね」といったときには口の中にはお菓子はない。 「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」とか言います。(「葉隠れ」より)  菓子の材料にお茶は使わない。(使うとお殿様を殺すことにもなる。)  香料は使わない。(殿様を隠してしまう事にもなる。)  「葉隠れ」の哲学みたいな部分で、底辺の哲学としては共通するものがある。こういったことを外国人に説明すると余計に興味を持ってくれます。

昭和23年生まれ、父は江戸菓子職人で和菓子屋をしていました。  虚弱な体質でバスで遠足などいけませんでした。(車酔い)  公認会計士を目指しましたが、大学4年の時にはあきらめました。   学生運動が盛んでした。  茶道のサークルに入って1年ぐらいやりその後町の先生に習いました。  後のお菓子つくりにも役立ちました。  三島由紀夫の割腹事件がありましたが、自分の人生を変えたことに近いものがありました。  卒論の替わりに和菓子に関する歴史を書きました。   大陸から唐菓子が伝わってきて禅宗の坊さんの・・・?、南蛮菓子とかについて書きました。  京都に修行に行き、その後名古屋、又虚とに戻って、通算で5年になります。  京菓子は「見立て」で抽象的な形、江戸菓子は「写し」と言って桜とか具体的なものです。  

徒弟制度ですから見て習う、これは大事です。  父は認知症ですが、桜を作ってというとちゃんと桜を作るんです、身体が覚えてしまっているんですね。   私たち職人はお菓子を食べる側の人の立場を理解してお菓子を作るという事を岡部伊都子さんの「四季の菓子」という本から学びました。  岡部さんとはその後もお付き合いをしています。  名古屋も京菓子の文化です。   28歳の時に独立しましたが、最初の10年はなかなかうれないので食うや食わずの生活で、段々自分のものになってきてその後段々売れるようになりました。   羽二重餅は10年経って、或る時これが羽二重餅なんだとはっと判りました。  

洋菓子に押されていますが、それには何が必要なのか考えてはいますが、結局はあんこのおいしさかなと思っています。   和菓子の伝統を守っているだけでは飯は食えないと思っていて、基本に戻って洋菓子を攻めてゆくという事に転換していかないといけないと思います。    

「IKKOAN 一幸庵 72の季節のかたち」 本を出版。 その後和菓子の文化論的なものを書いています。