2020年8月29日土曜日

いとうせいこう(作家・クリエイター)  ・【私の人生手帖(てちょう)】

 いとうせいこう(作家・クリエイター)  ・【私の人生手帖(てちょう)】

戦後75年を迎えましたが、平和の俳句の取り組み、NHKTVを良くご覧になるという方ですと「植物男子ベランダー」というドラマの原作がいとうさんのエッセーです。   音楽好きの方ですとリズムに乗せて歌ってゆくラップの先駆けの一人としても知られています。 仏像や文楽、能などの伝統芸能にも精通してその多彩ぶりは周知の通りです。  いとうさんは1961年東京葛飾区で生まれました、1984年大学を卒業後出版社の編集部に就職1986年に退社、TVの司会や音楽、舞台などで活躍、1988年に作家としてデビューしました。  2013年に『想像ラジオ』で野間文芸新人賞を受賞しています。  来年3月に還暦を迎えるいとうさんの人生手帳にはどんな思いがつづられてきたのでしょうか。

今年は物を書くように重点を置こうと思っていたので、一人でやることが多かったのでコロナの影響は少なかったです。   ロックダウンするのかなあと思って音楽もロックダウンしてしまうといけないと思って、MDL(オンラインフェス「MUISC DON'T LOCKDOWN」)「巣ごもりフェス」を立ち上げて仲間たちといろなソフトをタダで配信することをやってきました。

打ち合わせは今は出かけてゆくのが馬鹿馬鹿しいです。

MDL(オンラインフェス「MUISC DON'T LOCKDOWN」)のほうには、能の流派の総家からも連絡が来て、能楽堂が全く使えなくなってしまって、文化的なことだったら無料で貸したいから何でもやってくれというような連絡がきましたが、宗家が謡をやってそれを撮ってくれれば我々が配信しますという事で、まったく能に興味もなかった人も見るわけで異文化交流が起こるなと実感しています。

家にいることが好きなので鉢うえが凄くあるので前よりも世話がよくできる様になりました。

石牟礼道子さんという作家の方の16巻ぐらいある全集を50回づつ読むというのを何か月も続けています。

ある人から石牟礼論を書いてみないかと言われて、とにかく読んでみないと分からないので、一人の作家を全部読むという事は本当にすごく充実したことです。

石牟礼さんを読むのも一つの息抜きだと思っていますし、MDLも息抜きだと思っています。

小さいころは本さえ与えておけば静かにしていたようです。 文字は好きだったようです。

小学校の低学年の時に先生が親との面談の時に乱読をさせろと言ったらしいです。

宿題でもないのに勝手に詩を作って先生に提出したりして、いい作品だと先生が清書して教室に貼ってくれたりしてくれました。

褒めてくれるという事はすごくいいことだと思いました。 先生との出会いがよかったと思います。

家では放任主義で進路に関しても自分で決めたものだったらいいから、と言われました。

東邦大学附属東邦高等学校にいって、落ちこぼれていって国語と英語だけは成績は良かったです。 法学部を受けて早稲田大学に入りました。

学生時代にピン芸人として活動し始めました。

自分は番組を作りたいと思うようになって、TV局の入社試験を3つぐらい受けましたが、すべて落ちてしまって、自分はなにものでもなかったということに気付かされてどうでもよくなって、ある出版社の募集要項があり、ドキドキすることを書きなさいという事があって、面白いと思って出したら来いという事になりました。

TVに出たり二股をかけていましたが、両立ができなくなって出版社を辞めてフリーになりました。

NHKの「土曜クラブ」という司会のレギュラーと日テレの仕事も入ってきました。

僕は利益に対して目端が利くように見えているが、全然見えていないんです、目端の利く人から見ると、助けるというかものを振りたくなるものがあるんだと思います。

才能を見つけるとその人のために何でもしたくなってしまいます、応援してしまいます。

応援団には言葉が必要で、あり来たりの言葉で褒めてもみんなは振り向かないので、この人ならではの言葉を自分は編み出しやすい人間だという思いはどこかにあります。

コミュニケーションすることは本当に大事なことだと思います。

高校の先生が奇跡はあると思うかと急に授業中に言い出して、ほかの人が発言するなかで自分とは違うなあと思っているうちに、自分の番が来て、「例えば先生と僕が話しているとして、何かの言葉で大きくその人の考えが変わるとしたら、それが奇跡なんじゃないか」と言ったら、先生が俺もそう思うと言ってその議論が終わって、このことが自分にとって大きなことで、モーゼの海が割れるようなことも奇跡かもしれないが、人が人と話をしていて、人生観、価値観が変わってしまったという事がもし言葉で起きたら、奇跡が起こることは素晴らしいことだと思います。  それをなるべく僕は見たいんだと思います。

尊敬している柄谷行人と批評家が「君子豹変せず」ではなく「君子豹変する」と言っていて、おもしろいと思って、僕は君子豹変したいです。

連句,連詩は自分の中のテーマになっているもののやり方の一つ、方法論の一つです。

エッセーでも書きだしたことを待てよと言って、自分が否定してゆくような書き方ができるときに自分で楽しいです。  綱渡りするようなことをすることは好きですね。

意味もなく方向も決めずに1時間以上歩くことをやっていて、近所でもまったく知らない景色があり、同じ道に戻ったりしますが、違う道からはいると同じ道に入る感覚が違います、そのことが改めて面白かったです。

本も似たようなところもあり、ページをめくるという事は人間の脳みそに対する刺激がメディアとして面白いと思います。

沢山の芸術の中にはそれぞれにいろんなやり方は違えど、根幹は同じではないか、どうやってドキドキさせて、どういう風に脳みそを塗り替えるかという事をみんな考えてこう来たんでしょうね、ドキドキさせ人間の脳が喜ぶのはわくわく感であったり、ドキドキ感であったりするわけです。