粟国 淳(演出家) ・【夜明けのオペラ】オペラはこんなに面白い
音楽一家に生まれ、2歳からイタリアで音楽の勉強を重ねローマ歌劇場でオペラ演出の研鑽を積みました。 その後日本で新国立劇場の演出助手や文化庁在外研修員として研鑽を積んだのち「愛の妙薬」で演出家デビューをし、その後日本とイタリアで様々なオペラにかかわり現在は日生劇場芸術参与としても活躍しています。
4月にイタリアに帰る予定でしたが、今年は帰れないかもしれないので心配しています。
父は粟国安彦、オペラ演出家で、1969年にイタリアに渡って、オペラを学びたいということで家族で行って、50年近くイタリアで生活しています。
母は元藤原歌劇団の合唱団でした。 歌手としてはイタリアでは辞めてしまいました。
70年代80年代にはオペラ歌手とか日本の方がヨーロッパに勉強しに行って、粟国家に毎日のように家に泊まったりしてオペラの話などをしていて、私のそんな環境の中で、ピアノ、ヴァイオリンとか勉強していましたが、演出家になるというような事は考えていませんでした。
小学生のころに父の夢としてはオペラ専門の指揮者になってほしいというように思っていました。
14,5歳のころには父は日本でオペラの仕事をしていましたが、友達は全部イタリアにいたし、成人になるまではイタリアにいることになりました。
指揮者の勉強もしていましたが、22歳の時に父は49歳で突然亡くなってしまい、本当に自分は何をやりたいのとか自分に問いかけて、一回全部音楽を捨てました。
ブティックでドアマンからスタートしました。
日本語は母親としか話しませんでしたが、ブティックで日本語にも触れる事ができました。
父の死ショックから立ち直るのに2年ぐらい時間がかかり、オペラも聞きたくないと思っていたところに従兄弟がイタリアに来て、オペラを見たいというところから人生が変わりました。
「ラ・ボエーム」を一緒に観に行って演出がフランコ・ ゼフィレッリでした。
「ラ・ボエーム」なんて子供のころから何百回とみてきましたが、初めてオペラを見るような気がしました。 改めてオペラ全体に惹かれてしまいました。
自分も父と同じように演出家になりたいと思いました。
*「ラ・ボエーム」から「冷たき手」 歌:ルチアーノ・パヴァロッティ
翌日父親の先生だった人に電話をして、レッスンを開始しました。
楽譜をどう読んでいくかというところから始めて、装置を描いたり、衣装をスケッチしたり、役をどう動かしてゆくとか、歌うことも自分でもやりました。
先生は芝居役者、歌い手、演出家、指導者というすべてをやってきた先生なのでその考え方を理解して行こうと思いました。
30歳の直前で「愛の妙薬」というコメディー的なもので、日本で演出家でビューしました。
装置、衣装とかイタリアのカラーを出そうと思って作りました。
*「愛の妙薬」から「村の皆様お聞きください」 ドゥルカマーラが歌うアリア 歌: シモーネ・アライモ
父親の担当したオペラの映像を観てみると似ているところがあり血の繋がりというものはすごいものだと思います。
*「愛の妙薬」から「人知れぬ涙」 歌:ロベルト・アラーニャ